「山崎豊子展」にみる昭和の時代 [生きるもの]
2015年10月3日 今日はラグビーWCで日本代表とサモア代表の試合が日本時間で夜中にある日。
またアイス・スケートの浅田真央選手の復活の日。 3地域(日本、北米、欧州/ロシア)大会で2年ぶりに日本代表が優勝したことはすでにWEBでは報告されているが、これからTV観戦。 浅田真央選手もトリプル・アクセル成功で、復帰成功で、女子6選手のなかで最高点をだしたとのこと。
本日はお昼に日本橋の高島屋に久しぶりで出かけた。 作家の山崎豊子氏が89歳で2013年9月29日に死去されてから三回忌を迎えて高島屋で追悼の「山崎豊子展(-不屈の取材、情熱の作家人生ー)」が開かれていたから。
山崎豊子氏の小説にふれたのは中学生の頃、母が当時購入していた「婦人公論」に連載小説があったから。 確か内容は中欧の男性と恋愛関係になる日本女性の話だったとおもうが、小説の内容に一部盗作というか小説の題材を探すために集めた資料の一部がそのまま記載されていたという経緯で、この小説は完成したのだが、山崎豊子氏の作品からは除外されているようだ。 だがその小説の恋愛の描写の印象は残っている。 勿論月刊誌の連載でその不幸な経緯から本として発行されることもなく、Lalaも1度きりしか、しかも多分部分的にしか読んでいないとおもう。
その後、山崎豊子氏の作品で読んだのは「華麗なる一族」「大地の子」など。 あと「二つの祖国」など大作は購入したが積読のところに入ってしまった。 「沈まぬ太陽」は当時掲載していた週刊誌を途中で購入をやめたことから中途半端になってしまった。 「不毛地帯」は戦後、伊藤忠のトップに上り詰めた瀬島龍三氏をモデルに書いたといわれ、瀬島氏の評価が2分されていたので正直手に取る気にはなれなかった。 しかしやはり「不毛地帯」には、瀬島氏に対してLalaも感じたように、山崎豊子氏のインタビューで瀬島氏が自分から語らなかったというよりは語れない疾しい負の部分は、別のシベリアで苦労された軍人の方々にインタビューを重ね、山崎豊子氏の理想としてのこうあって欲しい軍人の描きかたをしているのがわかったのでこれはこれから本を購入する。
山崎豊子氏の作品は骨太で緻密な取材から生まれたことは有名だが、山崎豊子氏の生家が大阪の有名な昆布商店の小倉屋山本だとは正直最近まで知らなかった。
「山崎豊子展」に興味をもったのは、2015年の夏の終わりに、山崎豊子氏の生前の若い時代(第2次世界大戦中)の日記の一部が最近発見されたとのことが日本経済新聞に記事として記載されているのを読んでから。 その内容の激烈で簡潔な文章に衝撃を受けた。 そして瞬時に思い出したのは中学生の頃に読んだ山崎豊子氏の中欧での恋愛小説の内容だった。
船場のいとはんということがそこの下敷きにあったのだが、船場の小倉屋山本のお嬢さんだったとは。 「山崎豊子展」の内容はその作品を読んで心を動かされたことのある人は是非足を運ぶことをお勧めする。 日本橋高島屋では10月5日(日)まで。
「ぼんち」は市川雷蔵の主演で映画化されているが、HMVのセールで最近DVDを購入。
昭和生まれの人は自分が歩んできた昭和をもう一度振り返る良い機会。
第2次世界大戦から戦後70年、Lalaは5月に広島に初めて旅行にいって原爆記念公園も訪れた。 日本にとって、昭和生まれの日本人にとって昭和とは、もう一度咀嚼する時。
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