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金鉱があったゴールドリーフシティはヨハネスブルグのルーツ [南アフリカの旅]

2010年8月4日 FC東京対リガ・デ・キトが争うスルガ銀行チャンピオンシップをTV観戦。 平山選手と大黒選手が得点し後半ロス・タイムに追いついて2対2でPK戦。 何かWCの日本代表対パラグアイ代表戦を思い出します。 東京FCが優勝。 ところが、スルガ銀行の昔で言う頭取の人がカップを授与しに登場。 驚きました。 かなり以前、聖路加病院に若き奥様に付き添っていた方。 奥様とは昔の顔見知りだが病院であって以来。 ウゥ~ン。 思わぬところで思わぬ人にあった感覚。 

さて、南アフリカの旅はワールド・カップの日本代表戦を見に行ったのだが、オプショナルツアーも以外と充実。 ただし、金額は飛びっきりの値段。 いやなら参加しなければよいだけ。 日帰りでも、日本だったら、一泊旅行できそうなレベル。 そして移動に飛行機で一泊二日の旅行にも参加。 こちらは軽~く、ハワイ旅行ができそうな値段。 今回のツアーではかなりの人が3試合観戦で2週間以上の日程で、しかもオプショナル・ツアーの参加度も高かった。

この日は日帰り旅行。 ヨハネスブルグの発祥の地ともいえる、金鉱の町、ゴールドリープシティ。 ここが以外と近くて、朝プレトリアのホテルを出発して1時間ぐらい南下してヨハネスブルグ、ヨハネスブルグを通過して、すぐに西のほうに少しいったらもうゴールドリーフシティ。 ヨハネスブルグから30分ぐらいのところだと思う。 

閉山された金鉱の一部を見せてくれる。 門のところで歓迎のバンドが。 左端の女性が体にまきつけているのは毛布状の布。 それが上手に巻きつけているので昔のギリシャのトーガのような衣服か??? これは寒くて必要にかられてだと思うが、今やファンションになっていた。DSC01643GL1.jpg

金鉱の深さは地下3800メートル。 そのうちほんの300メートルも降りないが、昔の金鉱の石の塊を運んだ大型のトロッコや、深い井戸のような竪穴があるところまで、むき出しの2階式エレベーターで降りるもの。 DSC01649GL4.jpgグループは同じ色のヘルメットをかぶり、5人に1人ぐらいのわりあいで懐中電灯が渡されて、坑道の中を照らして見れる。 Lalaにも懐中電灯を渡してくれたので、まだ金がここに見えるという天井を写す事ができた。DSC01648GL3.jpg

金鉱での労働は過酷そのものだったらしいが、当時現金収入のある職業がほとんどなかった時代、南アフリカの原住民の人は必死で働いたらしい。 色あせたポスターが数枚飾られていた場所があったが、金鉱で石の破片で目をやられないように防御メガネをかけましょうとか、しっかりした靴を履きましょうとかいうスローガンらしいが・・・多分、実際はそんな保護するものが配給されたのか大いに不明。 生きるために必死に働いた多くの金鉱の労働者は、太陽の光のささない、狭い地下の空間で過ごした結果、精神を病むに至ったらしい。

いまのゴールドリーフシティには大きな観覧車があるテーマパーク。 観覧車のゴンドラはサッカーボールのデザインで、かなり早いスピードでぐるぐる回っていた。 入場者は無料だったが、お土産ショッピングに忙しくて乗る時間がなかった。 お土産屋は充実。 南アフリカは銅で有名だということだったがここにきて初めて知ったこと。DSC01645GL2.jpg

メインストリートでは明るい南アフリカの若いグループは歌と踊りでパレード。 勿論ブブゼラはつきもの。左端の男性は鉱夫さんのファッションでパレードに参加。DSC01659GL7.jpg

最後に、当時の金鉱での金の精錬の実演。 金の塊をインゴット・バーにするプロセス。 大きなインゴット・バーを拝見。 長さ30センチぐらいの大きさ。 純金ではなく銀が10%混ざったもの。 正面からデジカメしたら、あまりの眩さにピントが合っていなかった。  南アフリカで金細工のほとんどが9Kで日本で普通の18Kはほとんどない。 ましなのが14K.DSC01652GL5.jpgDSC01657GL6.jpg

 


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