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久しぶりに銀ブラをしたら・・・・ [中央区の主]

2014年1月25日 今週の話題は何といっても野球楽天の田中将大選手のヤンキース移籍の選手に支払われる160億円(6年か7年間で)の巨額な金額。 サッカーでいえばメッシ選手かクリスティアーノ・ロナウド選手の金額と同程度か。

マー君の愛称があるが、高校卒で球界入りしてこの5,6年ですっかり成長した田中選手。 家では全員で応援しているのでその成長にはうれしい。

最近日本橋のデパートにも銀座にも出かけることは稀になった。 銀座通りはたまに銀座で食事した後に家にかえる車窓のなかから見るぐらいでとんとご無沙汰である。

今週会社の帰りに銀座で食事をするために、日比谷から目指す店を目指して歩いた。 

銀座といえば、子供の頃新橋に住んでいたので、銀座4丁目から8丁目の通りはおなじみの場所だった。 母などは何かというと銀座の松坂屋に買い物に行っていたし、天麩羅といえば、銀座8丁目の天国か橋善だった。 橋善はすでにとっくになくなっているが、当時の我が家ではどちらかというと橋善のかき揚げ天丼とシジミのお味噌汁というのが定番だった。

橋善は御主人が亡くなった後に未亡人と当時の板場とのごたごたで店がつぶれたという話を聞いたが、つぶれる前に食事をしたところ、今までかかったことがなかった凄い蕁麻疹が出てしまい、食事後に近くの薬局に飛び込んで薬を買って飲んだ程。 小海老と貝柱のかき揚げだったとおもうが、どういうわけかべたっとした揚げが十分でないかき揚げだったので、その頃には板場もまともでなかったのかも。

中国語や韓国語が飛び交う通りを歩きながら、銀座通りを8丁目の方へ向かって左側を歩いていたところ、6丁目のところの和食のレストラン「大増」の前はシャッターが下りており、平成25年12月31日で閉店したという張り紙がはってあり、驚いた。

以前から知っている名店や趣味性の強い老舗が次々に閉店したり移転した銀座だが、ついに「大増」も。。。と寂しい感じ。

すべてに栄枯盛衰があるのは世の習いだが、やはり老舗の店がなくなるのはさびしい。 

子供の頃の銀座の店は個性的な店が縦長の店舗にぎっしり詰まっていた。 不二家のレストランも確か3店は銀座通りにあった。 ワシントンの大規模靴店やカネマツ。和装こまちヘアで正月用の簪を買ったし、近くにあった紳士用の帽子屋では亡き父などはハンチングや鳥打帽を毎年のように新調していた。 銀座5丁目にあった「白牡丹」という和装向けの高級ハンドバックを売っていた店にはいつも「見るだけ」といって入って行った母の後について訪れたものだった。 和装の「くのや」や結城紬の良さを理解する以前の子供の目にもこんなに高価なものなのかとウィンドウに釘付けになった「結城屋」。 もうこのような店を銀座に探すのは無理な話。

外国ブランドの代わり映えしない商品を代わり映えしないモダンらしい無機質なビルとディスプレイの店が多くなり、いつもバーゲンをしているハンドバック店など若い人が多く行き来する通りになってしまったが、以前には考えられないことがあった。 それは通りのここかしこに漂う焼き鳥の匂い。 こんなことは以前は絶対なかった。 焼き鳥やは確か有楽町近辺やガード下が定番であった。 これでは銀座の街のグレードダウン。 こんな匂いがただようなら「大増」も撤退する。 もう銀ブラも死語ということらしい。

 

 

 


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