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2008年5月キリン・カップ戦に臨む [サッカー日本代表]

2008年5月にまたキリン・カップ戦の日本代表のサッカーの試合がある。 

中村俊輔選手はセルティックの25番として、あと3試合あるが、その後、5月24日か25日は日本にもどってきて、キリン・カップの日本代表選手として試合に出る・・・らしいと記事が出ていた。

4月に中村俊輔応援ツアー参加者のかなり大きな集まりがあったが、日本の各地から、わざわざ交通費と宿泊費をかけて参加される方がとても多いのにはいつも驚かされる。 ざっと数えても、沖縄、熊本、徳島、神戸、名古屋、静岡、甲府など。 

そこで話題になったのは、キリン・カップに中村俊輔選手が戻って来るかという話題。 名古屋でのドログバ選手が帯同されるであろうコートジボアール戦は、ネットで調べた限り、前売りは完売。 Lalaはとりあえず、浦和スタジアムでの試合の切符を手配済み。

さて、週刊サッカー・ダイジェスト4月15日の表紙を飾ったのは中村俊輔選手。 タイトルは「SHUNSUKEと考える日本サッカーの未来」 DSC01570中村俊輔雑誌1UP.JPG

巻頭スペシャル企画としてかなりページを割いた長文のインタビュー記事。 写真も一杯。 文はサカダイの小須田氏。 写真はサカダイの菅原氏。

印象に残ったキャプションのところをピックアップ。 

ミラン、マンチェスター・U、バルセロナ。 世界のトップを肌で感じたからこそ知り得た中村俊輔の生きる道。 日本サッカーの未来――。

「戦意喪失させるくらいボールを回す。 相手にボールを渡さないでメンタル的にも追い込む。 そういうサッカーって、ずっと自分の理想」

「世界のトップクラブはチームとしての形にこだわりがある。 自分たちの形でトップを目指している」

「ゲームを把握する力かな。 見えない駆け引きや試合の流れを読む目・・・・・。 最近、自分はそういうので生きている」

「ワールドカップで勝つことを考えたらこれからも走り続けないとダメ。 走り続けていたほうが、何かが起こるはずだから」DSC01569中村俊輔雑誌2UP.JPG

そして、記事を締めくくる質問への答え、

質問: 岡田監督になった今でも、走る意識を持ち続ける?

中村俊輔: オシム監督に言われなくても、元々、ヨーロッパでやっててずっとその意識でいたからね。 だからオシム監督も驚いていたみたい。 自分がこんなに走れる選手とは思わなかったって。 代表に呼ばれて少ししたら言われなくなったから。 走らないでバランスばかり取っていたら、ゲームが動かないし。 いくらひとりでいい飛び出しを見せても意味がない。 例えばこっち(ヨーロッパ)のチームだったら相手の飛び出しに対して、2枚のセンターバックと2ボランチの4人でぼかしながら、マンマークされてなくてもゾーンで飛び出すスペースを消されてしまうから、連動して動けない選手は試合から消されてしまう。 だから走ることは大事。 そのうえで、日本代表としての形を持てるようにしていけたらって思う。

調度1年前の2007年5月対コロンビア戦の日本代表の先発メンバーは:

  

 


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