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初夏、高輪の泉岳寺 [歴史が伝えるもの]

7月初旬のある日の午前、仕事で高輪を訪れた。 地下鉄泉岳寺駅から10分程度歩いたところに相手先のビルはあった。 1時間強の会議を終えて、そのまま来た道を戻ろうと腕時計を見ると、11時を過ぎていた。 このまま真直ぐ会社に戻っても12時は過ぎるし、途中で昼食とるほうがいい。 さてどこがいいかなっと少し思案。 

待てよ、泉岳寺駅だから、久しぶりに泉岳寺をお参りするのも悪くない。 近場で軽く昼食をとると、そのまま泉岳寺駅を目指す。 5分程度の間に2つの神社が。 その名もズバリ高輪神社。 泉岳寺駅の交差点の角には商売繁盛の稲荷神社が。 どちらも土地の値段の高い場所にあるので、底上げして2階に神社が設けられている。 

特に高輪神社は大きな茅の輪も飾ってあり、石段の上の扉は大きな石の扉。 内側には彫りが施され、境内には狛犬さんが2対も。 どれも年代もの。 特に小さいもののほうは歳月に洗われて、かなり輪郭がぼやけ気味。 お参りして、もどろうとしたら、石の扉の内側に、なんと石づくりのかなり大きな恵比寿さまと大黒さまが鎮座。 お目出度い。 神社に由来を示すものがないので、推測だが、高輪神社という名前から、地主神社ではないかと思う。 その斜め後ろから、泉岳寺の境内が始まっている。

京都、奈良など有名な寺院も、よくみると必ずといっていいほど、地主神社がセットになって、同じ地区というか縄張りに建立されている。 たぶん歴史の経緯から考えると、神社が先で、仏教の寺院が、その昔からよいとされている場所に建てられたものと考えるのが自然。

稲荷神社もお参りして、交差点を高台に向かって坂道を上がっていくと、まもなく泉岳寺が。 泉岳寺は冬の季節のほうが、なにか雰囲気でるとおもうが、訪れた7月初旬は、非常なかんかん照りの真夏日。 平日のお昼少し前ということで、みやげ物屋も店を開けているところも少なく、人影はほとんどない。

参道を歩いていくと、左側にかなり背の高い花をつけた植物が。 紫陽花が多いが、薄紫や、白い花も。

山門はかなり古く、保護されており、横からぐるっとまわって境内の石畳に入る。 ほとんど誰もいないといっていいくらい。 海外からの観光客と思われる人達が2組。 東南アジアからと思われる家族連れが本堂の前で、思いっきり拍手をうっているのがご愛嬌。 本堂の前、左側に置き石と背の低い木が植わっていたが、雀が散歩していたのでシャッター・チャンス。 非常にすばしっこい。

本堂から見て右、山門から見て左に、泉岳寺の墓地があり、かの有名な赤穂浪士47士の墓や、浅野匠守などご一門の墓所が。 お線香を100円で買うと、墓守さんはお線香に十分火をともしてから、小さな器に入れて、束ねているこよりを切ってくれる。 47士のお墓に少しずつお線香を手向ける。 ここには、日本人のグループが4、5組。 皆お線香を手向けている。

子供の時、両親と2、3回訪れた覚えがあるが、大人になってからは今までとんとご無沙汰。 子供の目には、泉岳寺はもっと木が多くて、鬱蒼としていたし、こんなに明るかったかしら?などと思いながら。

最後は2軒ほど開いているお土産やさんを冷やかす。 泉岳寺の後ろには東海大学の体育館があり、北京オリンピックを目指して男子バレーボールの特訓練習がそこで行われていたということだった。 コーチとして大林素子氏が通ってきたそうで、お土産屋で、赤穂浪士キューピー(赤穂浪士キティちゃんだったかも)を購入し、その記念写真も撮ったようで、その写真を店主が大事そうに見せてくれました。

暑かったし、昼の短い時間だったけれど、久しぶり。 家に帰ってからデジカメの写真を見ると、少し同じ部分がシラッ茶けている。 薄型なのでレンズがせり出す設計になっていないので、指がレンズを触ってしまった可能性が。

 


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