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スポーツ選手の引退が告げる時代のかわり [生きるもの]

2014年12月6日 昨夜は母校の上智大学のソフィア会が主催したクリスマス・イベントに久しぶりに出席。 

午後5時頃からミサなどカトリックのクリスマス行事があったが、会社帰りなので 午後7時から始まった軽食パーティとバザーから。 過去に数度軽食パーティに参加したが、今回が一番慎ましく地味だった。 4枚つづりの食券を購入し、小さなパック詰めの料理を味わう。 海苔巻寿司やカナッペ、焼きそば、飲茶、鳥からとポテト。 飲茶などは料理の温度もある程度保たれ軽食としては及第点。 バザーでは手作り品を中心に、寄付金を募るもの。 手作りの小物を数点購入。

その後、やはり夕食としては物足りないので、四ツ谷駅の反対側に行く。 何となく賑わっている雰囲気の新道通りを入って、少し坂道となっている通りをあるく。 多くの居酒屋やレストランなどが競って賑わっている。 店の入り口で炭火で焼きものを料理しているおじさんの真摯な態度に惹かれて、源や四ツ谷に入る。 生ガキや活け鯵の御造り、串ものなどで満足しました。 また行きたいお店でした。

11月後半はアイス・スケートが始まり、ロシア杯、中国杯、そしてNHK杯とTV観戦。 なんといっても羽生結弦選手の中国杯でのアクシデント。 男子の競技はスピードをつけたジャンプが主流なので、激突だった。 NHK杯ですべる羽生結弦選手の背中には迷いというか恐怖心というかみえていた。 オーサー・コーチが競技後に、インタビューで、落馬したら速やかにもう一度乗馬に挑戦しなければ恐怖心は克服できないといっていたが、それは名言だとおもう。 リンク上での恐怖心を克服するにはリンク上でしかなしえない。 そのため、時間を開かずにNHK杯に挑戦させたのだと思う。

12月に入って、相次いで日本代表にもなった有名なサッカー選手が選手生活の引退を告げた。 DFの中田選手とFWの柳沢選手。 柳沢選手は中村俊輔選手の日本代表時代の相棒といってよい選手。 中田浩二選手も海外経験もあり実力があった。 両選手とも37歳と35歳という、サッカー選手での引退が多い年代にさしかかっていた。

アイス・スケートでも2014年は多くの高橋大輔選手、織田信也選手、鈴木明子選手などが競技生活に別れを告げた。 20歳代後半が多いが、アイス・スケート選手はその体力と技量の継続で10年ぐらいはプロ・アイス・スケートの生活がまっている。

サラリーマンは以前は定年は55歳、60歳、そして昨今は65歳が主流になっている。 65歳からは高齢者の範疇にはいるが、人手不足が顕著になった日本では70歳、もしくはそれ以上働くということがかなり雑誌でも取り上げられている。 役職は会社によっては50歳代で、60歳ではほぼ確実に取り上げられるが、定年前までの同じ仕事を続けられる人はかなり限られているようだ。

サラリーマンと異なるスポーツ選手は特殊な分野で定年に近い競技生活の終わりを迎えるのだが、サッカー選手の場合、指導者か解説者の道か。それになれるのはサッカー選手でも一握り。 30代後半といえば、サラリーマンといえば若手から中堅にそして出世階段を駆け上る一番充実した年代。 指導者になるには指導者としてのトレーニングが必要だし、解説者はそれなりの話術も必要。 30代後半にもう一度人生の選択が必要になるサッカー選手。

2014年はまた一時代(20年サイクル)の終わりを象徴する年かもしれない。 


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