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酒田市本間家別荘から秋田角館市武家屋敷通りに [旅]

2009年遅い夏休み。 東北へのドライブ旅行の続き。

酒田市の本間家の別荘はまた屋内写真禁止。 今年1月にいった熱海の梅園にあったお屋敷に似ている。 本間家の別荘のほうが古いので、熱海のは真似たのか? 別荘で一番驚くのは階段の広さ。 普通の家の階段の2倍から3倍の広さ。 1階は2間開放して、周りには廊下が。 2階は昭和天皇陛下をはじめ宮家が宿泊したところ。 奥の2間のうち、奥の角部屋に天蓋付きの寝台を持ち込んで昭和天皇陛下が就寝したという写真があった。 表の座敷には丁度庭を見晴らせるところに小さな椅子がポツンと。 これも昭和天皇陛下が椅子に腰掛けて庭を楽しんだということだった。

全体の部屋の作りや周りの廊下の印象は熱海のお屋敷とそっくり。 拝見したあと、お庭を通って駐車場に。 振り返って屋敷の写真を撮る。 池の中には小さな蓬莱山が。

本間家別荘を後にして、次の目的地秋田県に向かう。 山形県酒田市から秋田へは高速道路が近くを走っていないので、国道を、海岸沿いだとおもうがひたすら北上。

目指すところは秋田県角館市だったが、宿は少し離れた横手市。 最初カーナビに角館市を入れたら想定到着時間は夕方5時近く。 これでは見学する時間がないので、横手市に行くことにする。 秋田県の内陸の穏やかな田園風景を眺めながら快適なドライビング。

次の朝、横手市から来た道を少しもどって角館市に。 約1時間弱。 早めに出たので角館市武家屋敷についたのはまだ9時過ぎ。 平日ということもあって目立つ位置にある駐車場は閉鎖。 少し離れたところの駐車場に。 角館市の武家屋敷どおりはかなり広めの通り。 普通に使われている道路だがほとんど車の通りも少ない。 たまに観光客を乗せたタクシーが。

駐車場は武家屋敷の一番北奥。 そこから一番近いのが大きさと立派さで有名な石黒家。 大きな庭があり、門から屋敷の入り口へと。 秋田県らしく庭には大きな木がうっそうと。 庭にむかって障子や扉をすべて開け放した座敷の素晴らしさ。 飾り気はあまりなかったが欄間などは凝ったものが。 昔のお屋敷には必ずといっていいほど蔵がついている。 蔵座敷という言葉もあるが、石黒家にも大きな何重もの扉の蔵が。 そして台所の先には昔懐かしい水道ポンプがまだあった。

 

 


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酒田市、山居倉庫、本間家、鐙屋、本間家別荘・・・そして桃と葡萄・・・・(2) [旅]

9月7日 夜遅いスポーツ・ニュースで、サッカー日本代表がユトレヒトに移動して、9日の対ガーナ戦にむけて練習しているシーンが映った。

7,8人選手が映ったが、皆ニコニコしてリラックス。 世界3位のオランダに3対0で負けはしたものの前半のよい試合運びに充実感とそして緊張が解けてリラックスできているのか。 あんなに嬉しそうな日本代表選手達って、ここ2,3年見ない感じです。

さて、東北の旅の続きですが、酒田市の本間家より数ブロック先に酒田市36人衆の首座を長らく務めた鐙屋さん。 本間家とは異なり4回も大火にあったそうですが、瓦屋根の本間家は特別。 普通の商家はどんなに身代が大きくとも、木の皮(杉か桧皮か?)を屋根に敷いて、その上を川原の平べったい石を乗せた屋根。 これでは風の強い日、火事が出れば、一気に火が回ってしまいそう。

鐙屋さんは当時の領主から鐙という名前をもらって、回船問屋を手広くやっており、井原西鶴の日本永代蔵にも描写された酒田36人衆の首座。 火事で焼けた屋敷の残った木材を利用して、酒田市が再建した屋敷で、ここは室内も写真OK. 観光客もまばらな晩夏に、障子や扉をすべて開け放った座敷でいただくお薄と御菓子の美味しかったこと。 こんな家が欲しいな。 

鐙屋さんの土間は毎朝塩水を流すそうな。 本間家は厳密にいえば、すべて畳がしかれており、板敷の廊下もほとんどなかった。 台所が板敷きで、一部土間。 鐙屋さんは大きな身代でも純然たる商家なので土間がある。 細長い家のそこかしこを開放して、緑の風が気持ちいい。

本間家のPにもどって、そこから車で5分もかからないところに本間家の別荘が。 立派な日本庭園には池があり、そこには睡蓮の花が咲いていた。 庭だけ撮影したら、ここが酒田とは思えない。 角度によってはまるで京都の庭のよう。 (続く)

 


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酒田市、山居倉庫、本間家、鐙屋、本間家別荘・・・そして桃と葡萄・・・・(1) [旅]

8月の総選挙の日、事前に投票を済ませ、ひたすら東北道をまい進。 過去には車で出かけた最北は那須高原。 日曜日で高速料金も安い、そして選挙で、8月最終日曜日に下り・・・読みどおり道路はがらすき。

その前日の土曜日は会社に会社の命令でフル出勤。 勿論、普通の土日休みの会社だけれど、時折ある。 その前週も土曜日午前中出勤していたので、結構働いた週だった。 

東北道はどちらかというと平坦なあまり変化のない道路。 途中山形県酒井市にでる道路に。 それはトンネルと曲がりくねった道とそして、対面通行(各1車線)の続く道。 目的地に着く前から、桃や葡萄が売られているPAが多く、旅程初日から果物買うのは、時期も時期だし、東京まで持つかしら?とはいえ、キング・デラウェアの大箱2つに、それから宿でいただくように別に葡萄を仕入れてしまう。 桃は流石にあきらめました。

最近の車のナビは、目的地を入力すると到着時間も予測してくれるのには驚き。 前日フル活動だったこともあり、朝、旅行の荷物を作ったので出発は9時過ぎ。 そして到着は午後4時頃。 温泉を楽しんだ翌朝、酒田市の有名な観光地点に出発。 ところが宿から車で10分もかからないところに酒田の中心地が。

吉永小百合の広告でも有名な山居倉庫に。 朝早く、その前の駐車場に車を止めると、なんと回りは近郊農家の人たちが軽自動車で商品の野菜を届けに来ているタイミング。 観光客は少なく、ゆっくりと、とても気持ちのよい山居倉庫の周りを散策。 倉庫の後ろは最上川からの風避けに大きな木を植えて、西日と風から倉庫を守っているということ。

8月末の時期なのに、東北なので緑がさわやか。 風と緑の心地よさ。 倉庫は現役の米の集荷倉庫。 倉庫の一部は辻村ジュサブロー氏の作品が展示されているギャラリー。 その中に本間家の亀の山車が展示されていた。

倉庫からも歩ける距離(10分程度)だけど、車で酒田市の中心の本間家へ。 通りを挟んで、市庁舎の回りに、昔からの家がいくつか。 昔の地図では36人衆が半分づつ道の両側に店を出し、36人衆の自治が認められていた自由都市。 あの「おしん」で有名な加賀屋さんもその一つ。 加賀屋さんの跡地に市庁舎。 市庁舎よりどちらかというと手前、最上川の河口からは奥まった側に本間家が。 本間家Pという看板に沿って、車を止めたら、すぐ前の塀で囲まれた屋敷が本間家だった。

正面は武家屋敷、横玄関と武家屋敷の奥が商家の屋敷。 内部は撮影禁止なので、玄関横の大きな松と、玄関脇の戸が開いていたので、庭を撮影。 庭は最初、こんな広さしかないのかという狭いもの。 後で説明を聞いたら、500石の武家屋敷の格式で決められた広さということ。

本間家は昭和20年の農地解放で、日本一といわれた田畑をほとんど手放し、しかも昭和20年に日本軍に屋敷を徴用されてから、公民館に開放し、ご家族は別のところに居住し、二度と自分達は住まなかったという。 武家屋敷は実際に使用されたのは数日(徳川幕府からの使者の本陣としただけ)で、当主のみ出入りしたが、締め切りで、それは美しく保たれていたということだが、日本軍、公民館が使用したため傷はかなりありました。 木曽のヒノキや欅材で簡素だけど清廉な美しさのある屋敷。 そのまま板戸でしきられている商家部分は通常本間家が使用した部分で、杉など木材も商家に許されたもので建築。 

子供部屋はかなり大きく、勉強部屋、遊び部屋、寝室など大きめの4部屋。 主人の居間は5畳しかなく一番どん詰まりの西北。(暑い時期に暑く、寒い時は寒いという条件)、その前に2畳と2畳のつづき部屋が奥様の着替え場所。 商家とはいえ、ほぼ全室畳敷き。主人の居間のすぐ隣は、真ん中の食事する部屋、そして東北の位置に竈がある台所の板敷きと土間。 大きな竈が3つ。 すべていまでいうロフト仕様の中二階になっており4部屋、使用人の就寝部屋。 台所には3つの竈の前にレンガづくりの小ぶりの竈が3つ日本軍が作ったとか。 

大きな屋敷だけれど、押入れや納戸が無い作り。 押入れの代わりに壁一面に扉付きの棚が。

酒田市は火事が頻繁に起きたため、すべて重要なものは蔵にしまったためということ。 凄いのはそんなに何回も大火事があったのに本間家は一度も火災に会わなかったという。 (続く)

 


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夏の終わりに夏休み・・・東京に今夜遅くにもどってきました [旅]

しばらくブログUPしませんでしたが、8月の終わりに夏休みとりました。 東北の山形県、秋田県、岩手県を車で回って、今夜東京にもどってきました。 先にお知らせする余裕もない、前日までフル稼働の仕事。

中村俊輔選手の所属するエスパニョール対ビルバオ、地方でWOWOW観れるようになっている宿泊地ではなかったので、ニュースでしか見れませんでした。 緒戦、FKすんなりとは蹴らしてもらえなかったようですが、方向はよかったものの、バーを越えて残念でした。 スペインの地元紙での評価もかなり辛口多い感じですね。

日本代表戦の対オランダ戦と対ガーナ戦、どのような戦いになるのでしょうか?

ロング・ドライブで疲れが溜まっているので、今夜はもう寝ます。


熱海には“梅”と“桜”と“松”が・・・目出度い! [旅]

花鳥風月が熱海には揃っていた。

熱海温泉に泊まった夜には露天風呂からお月さまが。

翌朝は近くの熱海の梅林、いや正確には梅園が正しいみたい。 梅園は近年荒れていたのを、寄付があり剪定と整備して再オープンとか。 その開園初日に行き会った。 梅園の梅は3分咲きや5分咲きで、とても清楚でいい香り。 剪定することで、梅の木に太陽の光がいきわたり、美しい花が咲くということらしい。

お昼前には熱海海岸に。 河津桜は、ここでは一番に花が咲く桜。 ピンクの濃い、小さな花びらの桜。 河津桜の前の海岸は美しく整備されて。

そしてそこから300メートルぐらい東に海岸沿いを歩くとかの有名なお宮の松が。 お宮の松も一度枯れて再生した松。 その松の根元には、赤い実が有名な万両が。

河津桜とお宮の松の間を歩いている途中に尾が長い小鳥と、その小鳥に興味を示して追っかけていた雀を見た。

1月だけど、陽の光が眩しい、熱海海岸。 目出度いものづくしだった。

 


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熱海でご来光を臨んで・・・そして梅林へ [旅]

2009年1月 熱海の温泉に行く。 前日御殿場から少し東京方面に戻り、湯河原・厚木道路、海岸沿いを走り、夕方熱海に。 熱海の露天風呂を堪能して、朝は部屋からご来光が。

熱海に来るのはほんと何年ぶり。 新しい車のカーナビはスムーズ。 音声ガイダンスのままにハンドルを切ると、目的地につく。 カーナビの地図を頼りに走ると、道路の印象が薄く、道は覚えにくい。 昔のカーナビがない頃だと、自分で一生懸命道路と地図を見ながら行くので、一度通った道路はほぼ覚えていることに。

朝食後、有名な熱海の梅林に。 昔両親と来たことがあるが、しばらく梅林も手入れのために閉園していたのかしら??? シーズンの開幕ということで、市をあげてのセレモニーもやっていたが、こちらはひたすらお庭の散策と、日本の観光地のお決まりの、御土産やさん(ほとんど梅がらみの商品)を冷やかす。

梅は開花したばかり。 三分咲きや五分咲きの初々しさ。 お天気にも恵まれ絶好の梅観の日。 

何もいうことはなく、ひたすら梅の愛らしさに感嘆。

 


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富山では大きな庄屋の家が陶芸の展示館になっていた [旅]

2008年8月下旬 能登半島から富山へ 旅程4日目

8月の下旬、日本海側はとても暑かった。 今日は楽しいドライブ旅行最後の日。 午後には東京に向かって出発せねば。 富山港の北前船を船主の町を見てからと思っていたが、その前に富山県でも代表的な民芸の大きな庄屋の家を陶芸の展示館にしている場所に行った。 その後北前船の豪商の家もみたのだけれど、実際に生活している家ですこしナマナマしくて結局写真は撮らなかった。 間取りや大きさ、保存のよさではこの庄屋の家のほうが好み。 勿論北前船の豪商の家のほうが、金に明かした造作にはなっていたが。

奥飛騨の五箇山といい、ここ富山も大きな古い民家を保存している。 大きな座敷には由緒ある陶芸の作品を展示していた。 大きな間取り。 大きな梁。 軒下に走る外廊下。 そしてその外廊下の外側に引き戸が。 素晴らしいの一言。 高い天井には大きな梁の木組みがそのまま見ることができる。 木も飴色の焦げ茶や赤茶で色艶が素晴らしい。 日本の古い家は美しさにあふれていた。 

 

写真を整理していたら、和倉温泉の温泉旅館から望遠でとった写真が出てきた。 デジカメ2台だと、時々同じ日に撮りながら、整理の関係で片一方の処理を忘れてしまうことがある。 

和倉温泉から急に能登島の水族館の写真になって、和倉温泉の眺めを紹介していなかった。 和倉温泉はどの旅館も海に面しており、能登半島のコノ字型のくぼみなので、陸地のほとんどは能登半島。 そして真ん中に能登島。 能登島と能登半島の北側をつないでいるのはツウィン・ブリッジ。 車は多くなく能登島のドライブは快適だった。 

富山を3時頃に発って、北陸自動車道から新潟に北上してから東京へ。 東京には夜に入ったが、東京に近づくと暴風雨だった。 


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能登島の不思議な邂逅と気多大社 [旅]

2008年8月下旬、能登半島へのドライヴ旅行の旅程3日目。 午前中は能登半島の能登島の水族館で思わぬ長居をしてしまった。

一通り水族館の水槽の魚を眺めて、あとは屋外のプールでのイルカのショーを見てから出発・・・というところ。 水槽がある本館とショーのためにイルカが行き来できるようになっている屋外のプールにつながっている場所の手前に結構地味な、どちらかというと資料室という趣で、表示もそうなっている施設が残っている。 パネル展示だけだったらパス・・・でも、一応中を覗いてから、決めて・・・と足を踏み入れた。

ここは屋内のイベント・スペースで、手前にはお子様向けにアザラシの置物と一緒にプロ(有料)の写真ブースがあり、フラッシュが時折館内を照らす。 そして少し奥まった中央にかなりの人だかりが。

ここにはアザラシの遊泳パターンにあわせて、舞台のように花道というか真ん中にアザラシがとどまれるよう円筒型の巨大水槽がせり出ていたガラス張りの大きな水槽があった。

人だかりはその円筒のそばで次々に記念写真をとる見物客が。 なんと、人間よりも背の高い、立派なアザラシが立ち泳ぎしながら、顔にあたる部分を水面に出して、ツーショット・サービス中。

歓声をあげて、次々に写真を撮る人々。 フラッシュはたかないでくださいという注意書きがあるが、そもそも斜め前では先ほどのお子様ブースでフラッシュがたかれて、時折その残光がひらめく。 勿論アザラシに向かってフラッシュをたくような人はいなかった。 

円筒の水槽に立ち泳ぎしているアザラシが一番体が大きく、それ以外に2頭一緒に飼育されている。 立ち泳ぎしているアザラシはほとんどが半眼にして、時折、硬く閉じた鼻の穴を開放して息を取り込む。 じっとしていること10分以上。 人間がツーショットでカメラを構えていることはよくご存知のようで、別に餌をもらえるわけでもないのに、奉仕のこころ。

丁度その頃、読んでいた本が「与えよ、さらば与えられん」という、一般的に流布する「求めよ、さらば与えられん」という言葉の逆を説く本を読んでいたので、このアザラシの無私の行為にいたく感激して、30分以上も眺めてしまった・・・ そしてアザラシのUPの写真撮りました。

その後、水族館お決まりのイルカのショーを見て、ようやっと本来の目的地、能登半島の突端輪島市に向かう。 旅行に出る前は、能登半島の突端の海岸線をドライブして・・・と思っていたが、ここで半日時間を過ごしてしまったので、とりあえず輪島市にいって輪島塗のお土産を買うだけになってしまった。

能登半島の高速道路は石川県の金沢市からは整備されているが、富山市側はまだほとんど手付かず状態。 そのため輪島から金沢に向かって高速を飛ばした。 今夜の宿は富山市なので、夕方6時頃にはついている必要があるので、ほとんどスピードいっぱい。

能登半島といえば、気多大社を素通りすることはできない。 もともと能登半島と思っていたのは、日本海側、出雲大社、気比大社、そして気多大社にはお参りしたいとおもっていたから。 過去に先の二つは訪れていたので、ここは是非是非気多大社へ。

夕方4時過ぎに気多大社に到着。 気多大社もやはり西向き。 出雲大社と同じ。 気多大社の海岸沿いの広い駐車場に車を止めると、なんと雲間から太陽の光がカーテンのように海にむかって射し込んでいる。なんとラッキー。 

気多大社も出雲大社と同じ祭神で、桧皮葺。 桧皮葺を葺き替える為の賛同者を募っていたので、少しばかりお納めした。 (後で家に感謝のはがきのお礼が。 神様って本当に義理堅い。)

気多大社は、かなり昔ながらの佇まいが残った、ほっとする場所。 とはいいながら伊勢神宮のように遷移するような仕組みにはなっていないから、維持管理するのはなかなか大変そう。 本殿の両脇に小さな社があり、そして本殿の奥の森は神域。 昔の祭祀のしきたりを守っている様子。 ありがたい気持ち。

気多大社を後にして、また高速道路。 金沢市に入る手前で北陸自動車道を北に。 富山市へ。 このあたりに詳しい地元のひとだったら、多分、気多大社からすぐに横切って富山市に入れると思うが、なんせ初めての場所なので、それはやめにしておく。 北陸自動車道は10回ぐらい走っている。

夕方富山市の少し山側のホテルに到着。 (続く)

 


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能登半島和倉温泉の対岸は能登島-そして水族館 [旅]

2008年8月下旬、奥飛騨から能登半島へのドライブ旅行。 旅程2日目の夕方、和倉温泉の「金風呂」で有名な温泉旅館についた。 かの有名な加賀屋さんを過ぎてもっと海岸の突端にあった大型温泉旅館というかホテルというか。 最盛期には700室以上あったらしいが、現在の部屋数は450室ぐらい。 

部屋は思っていた以上に素晴らしかった。 和室を予約していたが、踏み込みの靴脱ぎから2畳の玄関、左右にバスとトイレットは普通だが、部屋は畳だけで13畳に床の間と飾りだながついている。手前には6畳の化粧用の部屋で布団などの押入れもある。 そして窓側には4畳ぐらいの絨毯敷きのうえに漆塗りの小型の応接セット。 椅子の枠は漆塗り(輪島塗か?)なのだが、大きさが2人掛けできそうなゆったりした作り。

昔の旅館スタイルを踏襲している様式。 窓の向こうには能登島と能登島ツウィン・ブリッジが。 「金風呂」の温泉が有名。 とはいいながら、最初に作った金風呂は温泉(海際の温泉なので、源泉は少し内陸にあるらしいが、)はナトリウムの濃度がかなり濃くて、結局金風呂も侵食が激しく、ある時点で、金を焼きこんだ磁器で湯船を作り直したということ。 金は確かに入っている・・・というのがホテルの人の話。

さて、次の日、能登半島の突端までドライブするというかなりざっくりした計画だったので、とりあえず、温泉街から国道に出ようと少し来た道を戻った。 幹線道路に出ると、左に能登島、能登島大橋、能登島ツウィン・ブリッジと書いてあり、自然とそちらにハンドルを切る。 最初は水族館なんて・・・などと思ったが、能登島に渡ったら結構大きな島。 10キロぐらい中にドライブしてやっと水族館。

水族館といえば勿論お子様大歓迎。 入り口にはあの「お魚くん」の写真が。 久しぶりの水族館。 堪能しました。 かなり魚の種類が多いようでした。 写真が撮れる位置に魚が泳いでくる水槽は片っ端からというか面白そうな魚などはデジカメしました。

説明は要らないから写真を見てください。 どれもいい。 自画自賛。(続く)

 

ところで魚といえば、西洋ではキリストを表す場合に使われます。 そして魚は金運ももたらすといわれています。 魚・・・好きです。


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五箇山の岩瀬家の庭で [旅]

8月下旬に奥飛騨から能登半島へのドライヴ旅行の旅程2日目。 世界遺産の五箇山の岩瀬家の話は前回書いている。 その続き。

岩瀬家の敷地はかなり広く、大きな家の回りをぐるりと歩いて見ることができた。 勿論実際、ご当主と家族の方が住んでらっしゃるところなので、すべて見れるという意味ではないが、非常に大きな家の軒先だけでも、かなりある。 昔で言う山担ぎの家で、裏山と座敷の間には長四角の池をほってあるところは、他の合掌造りのおうちと同じ形式。 座敷から眺めた裏庭の趣も半端ではない。

玄関を出て、時計回りに拝見すると、軒先にささげ豆(小豆にようなもの)が鞘から出して筵に干してあった。 あ~あ、子供の時、おばあ~ちゃんのおうちで見たのと同じ。 懐かしいな~。

そして無造作にあちらこちらに植えてある花々のそれは色鮮やかなこと。 勿論立派なおうちには松の木が、これも定石通り、植わってありました。 

お庭を拝見して、駐車場に戻り、その前のみやげ物店が立ち並ぶなかで蕎麦屋で遅い昼食。 その後、五箇山ICに戻り、一路能登半島は和倉温泉まで。 かなり一車線が続く高速道路でしたが、五箇山からは意外と石川県までかなり近くて、なおかつ、山道からすぐ平坦な地域へと続いていました。 

高速は北陸自動車道にそのまま乗り入れるようにはできておらず、その交差する近くでおしまい。 そのまま能登半島は普通の国道で。 

和倉温泉は能登半島のちょうど、この字にへこんだ部分。 和倉温泉といえば有名な加賀屋さんですが、半年前に予約で、お値段も立派ということで、その近所にある、和倉温泉で一番古いとされている旅館(というかホテルというか)に着いたのが、夕方6時頃。 やはり海岸線を走ると結構距離がありました。 海はとても綺麗。 文句なし。 (続く)

 


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