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白川郷へ(後半) [旅]

冬の寒い日に白川郷に行った続き。

神田家の囲炉裏で温まった後、外に出ると、回りは夕闇が迫っており村民の方がそこかしこでライトアップの準備。 冬の雪のにおいを運ぶ空気を感じならが、村のはずれの展望台に向かう道を歩き始めたが、ライトアップされた美しい合掌造りの家々に感嘆。 これは神田家の外観。 DSC02587白川郷9.jpgDSC02589白川郷10.jpg

素敵な場所で写真を撮るうちに、展望台への順番が30分と書かれた札をみてその展望台でたかれる写真のフラッシュの位置の遠さに、気分はすっかりそれだけで満足。。。ということで村をぐるりとゆっくり巡る事に。DSC02590白川郷11.jpgDSC02591白川郷12.jpg  

雪原のなかにぽつっと建つ民家の美しさに息を呑む。 カメラマンが撮影ポイントとしているらしく何十人も。 そして途中で一休み。 飛騨牛コロッケとコーヒーで一服。 あとはお土産店を覗きながらバスの待つ駐車場に。DSC02592白川郷13.jpgDSC02593白川郷14.jpg

駐車場は満杯、100台ぐらいあるらしい。 駐車場の一番奥に止まっていたバスを探すだけで一苦労。 やれやれ。 バスの中で夕食のお弁当を食べながら、今夜の宿泊地金沢市へ。 


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白川郷へ [旅]

2010年2月21日 バンクバー・オリンピックも調度中間点。 高橋選手の銅メダル、中継時間帯にお昼を合わせてギリギリ観戦。 そして土曜日はまた会社にフル出社。 いまTV局では前半戦を振りかえってまとめて映像流しているけど、スノーボードの国母選手のパフォーマンスも印象的。 国母選手はスノーボード大国米国の予想でも銀メダル確実とされた、金メダル候補だった。

いい年をした大人が21歳の国母選手のユニフォームの今風な着こなしを批判していたけど、恥ずかしいのは、ある程度社会的地位にいる見識が必要(?)な人が、平気で国の威信がかかっているオリンピック大会で日本を代表する若手の有望選手を人前で批判すること。 

Lalaは国母選手の気概の表れが自分の着こなしを貫いたのだと思う。 11歳でプロのスノーボード選手になり、世界大会でも結果をだしてきた国母選手。 大事な試合前に不要な批判をするのはいい年をした大人のすることではない。 国母選手は17歳でトリノ・オリンピックに出場している実績のある選手。 若き日に、そういう気概を表していたのはかの日本歴史上傑出した人物の織田信長。

歌舞くのもとの意味は“傾く(かぶく)”で、安土桃山時代に、戦闘服であった武者姿に趣向を凝らして美々しく装いを競ったものが、若者が当時の着こなしの斬新さを競ったことを傾(かぶ)いていると表現した美学。 当時傾いているといわれていたのは青少年時代の織田信長。

さて、飛騨高山を後にして、観光バスが向かったのは白川郷。 ついたのは午後4時頃。 おもっていたより雪の量が少なくて、バスはスムーズに到着。 大きなまだガラガラの駐車場の片隅にバスは止まって、川向こうの白川郷に向かう。DSC02547白川郷1.jpgDSC02551白川郷3.jpg 

以前訪れた五箇山集落よりも数倍も大きな集落。 雪の白川郷を撮影するスポットは駐車場より左手の展望台。 橋を渡って白川郷、そして内部を拝見できる3つの有名な家の一つ神田家に。

DSC02555白川郷4.jpgDSC02578白川郷5.jpg

神田家では1階の板の間に大きな囲炉裏が切ってあり火が赤々と燃えており、一気に気分はタイムトリップ。

DSC02581白川郷6.jpgDSC02583白川郷7.jpg

白川郷と五箇山の違いを教えてくれたのはバスの運転手さん。 白川郷は川のほとりに規則正しく、東西に棟をそろえてどの家も建てられていること。 玄関は横に(横という意味は普通に一軒屋を描くと正面に玄関をかくが最近の一軒屋は狭い敷地に立てる場合があるので、道路に接地した狭い部分に玄関があるのも普通になったので) 白川郷の合掌造りの家の棟木は縄のみで締め付けている。 それ以外、木釘など一切使っていない。 (続く)

 


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飛騨高山には京都に似た間口が狭く奥が深い住宅があった [旅]

飛騨高山の続き。

桜山八幡宮の前にあった小座敷に囲炉裏をきった茶味甚平衛でザル蕎麦と栗の入った田舎ぜんざいをいただく。 

バスが待つ高山別院を挟んで調度反対側にあるのが写真で有名な飛騨高山の古い町並み、上三之町。 確かに外側は古い町並みだったが、お店そのものは京都の清水寺への急な坂道とおなじお土産やさんなど観光客相手のお店がほとんど。

バスの出発時間が来ているので、上一之町(通り)をもどる。 そこで煎り豆専門店に遭遇。 お店は間口は狭いが、奥の住居につながる一角には井戸水が。 ガラス戸越しに小さな中庭が。 何となく京都にある細長い家屋を思い起こさせる。DSC02544高山4.jpg

飛騨高山から西に。 この旅行のもう一つの観光地、白川郷を目指します。 観光バスなど決められた車両しかこの時期の白川郷には入れないということで、雪国の夜のライトアップをみるのが目的。

(続く)


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飛騨高山の桜山八幡宮にある屋台会館のガイドさんは巫女姿 [旅]

冬の寒い日に飛騨高山にいった話の続き

桜山八幡宮の境内にはあの有名な飛騨高山の屋台を常時展示している高山屋台会館があった。 先に掲載した写真の3本杉の後ろに写っている、立派な会館。

高山屋台の12台を3回に分けて4台づつ展示してあった。 驚きはとても背の高い屋台を大きなガラスで覆った展示室を回廊式に一周して拝見するもの。DSC01154飛騨高山3.jpg 

煌びやかな飾りを施された屋台は一台一台テーマがあるようで、圧倒される。 尚、町衆の人形は等身大で作られているから、屋台の大きさは写真でも分かると思う。 金と赤と黒を貴重にそれぞれが趣向を凝らし、当時の技術の粋と贅を凝らした立派なもの。DSC01155飛騨高山4.jpgDSC01156飛騨高山5.jpg

ほとんどの観光客が口をあんぐりとして背の高い屋台を見上げならが拝見するが、そのガイドさんのいでたちは巫女さんの姿。

神社には巫女さんはつきものだが、拝殿して御祓いを受ける時に畏まっているからそっとしか見れないし、鈴をもって踊る姿も写真をとる対象ではない。 それが屋台会館ではガイドしてくれる時間20分ぐらいだったか、まじかで巫女姿を拝見できる。 巫女姿の方は2名だったが、両名とも清楚で凛とした感じが、多分ガイド専門というより桜山八幡宮の巫女さんが一つの仕事としているような感じ。

体育館ぐらいの広さの屋台会館を説明して歩くのだが、移動する時に歩く速さの速いこと。 後ろ姿をデジカメしようとしてもとてもピントが間に合わない。 

それで、最後会館の出口でお願いして横顔を撮らせていただいた。 巫女さんらしく化粧気もなく、この美形、素敵でしょ!!DSC01161飛騨高山6.jpgDSC01163飛騨高山7.jpg

(旅はまだ続きます)


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冬には飛騨高山へ [旅]

思い立って、冬の寒い日に飛騨高山へ。 飛騨高山は最初の観光ポイント。 その後は夜のライトアップのある白川郷へ。 もともと白川郷の限られたライトアップの風景写真に引かれて。

長野へ向かう新幹線で上田に。 DSC01151飛騨へ1.jpg上田から白川郷に予約で入れる観光バスに。 観光バスが最初に止まったのは飛騨高山。 飛騨高山でバスが待機するのは西本願寺系のお寺さん、高山別院。 そのお寺さんを起点に数時間自由に散策。 

飛騨高山は地図を見るとかなり寺院が多い。 宮川という川に沿って小京都といわれるほど碁盤の目のような町並みを作っているのだが、目ぼしい山には多くの寺院の名前が。

高山別院を正面に見て左奥には桜山八幡神社がある。 その回りは飛騨の匠達の集まる「職人ノ町」がある。。。。なんて書くと、かなり旅行前に調べていったようにみえるが、散策の時に手にした地図でもういちど追体験。 

匠通りの一角には和菓子の店があって、店先のウィンドウには緋毛氈に福は内、鬼は外のディスプレイが、とっても雅な感じ。 こういう格式のある和菓子屋さんがある街はとっても豊か。DSC01152飛騨高山1.jpg

その通りを抜けてしばらく歩くと、古い店だがかなり広い間口のショウウインド一杯に所狭しと並べられた木工品に引かれて思わず店に入ってしまった。 年配のご主人が一人店番しているが、結局そこで木のご飯椀と漆処理をした美術品に近い汁椀、そしてショウウインドの正面に飾ってあったかなり大きな木工細工の振り子時計(こちらは別送品に)を買ってしまっていた。

とっても気分よく、道の角を右に曲がると、その奥には桜山八幡宮が。 桜山八幡宮の境内には、飛騨高山といったら有名な高山祭屋台を展示してある屋台会館がある。DSC02541高山1.jpg

まずは桜山八幡宮の風景を。 (続く)

DSC01153飛騨高山2.jpgDSC02542高山2.jpgDSC02543高山3.jpg

(Lalaの写真は以前はスライド形式が多かったのですが、So-netがフォト・サービスを停止するので、これからはベタ貼りで)

 


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錦秋 [旅]

2009年10月も末。 慌しかった仕事や片付けなければならないことが一段落したので、思い立って両親の墓参り。 

御殿場の墓苑は富士山の裾野の広大な敷地にあるが、まだ暖かい東京とは異なり、10月末はかなり空気が澄んでキリリ、ヒンヤリ。 普通の週末なので墓参の人はあまり多くない。

東京から東名を走ると、いつも御殿場で降りるのだが、今回は小山から。 茶所が多い小山地方は遥かに見る山々もまだ緑が一杯。 小山にもいま流行りの道の駅が何箇所か出来ていた。 富士の裾野は全体にゆるい上り坂。 溢れる緑に気持ちも穏やかに幸せな気分。

墓苑について事務所で花とお線香を求めて墓所へ。 

整然と区画され、整備と日ごろの清掃が行き届いた場所は少し気分を緩める場所としては最高。 富士山の周りの寒暖の差が大きい気温にさらされているせいか、墓苑に植えられている木々は既に紅葉が。 思わぬ錦秋を楽しむことができた一日。

DSC00959錦秋5.jpgDSC00951錦秋1.jpgDSC00952錦秋2.jpgDSC00957錦秋3.jpgDSC00958錦秋4.jpg

 


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前田青邨画伯が愛でた竹林 [旅]

2009年晩夏の東北へのドライビング旅行の最終地は岩手県平泉。 金色堂を拝観してもどってみると、金色堂の対面には白山神社が鎮座していた。

日本の山岳信仰や有名なお山(有名な仏閣があるところ、高野山とか比叡山)には必ず地主神社が鎮座しているが、ここ平泉は白山神社だった。

白山神社の赤い鳥居のすぐ後ろには茅葺屋根の立派な能楽堂が。 白山神社の境内に能舞台ということか。 現在は能楽堂の後ろにすこし地味目の白山神社が。

能楽堂はかなり有名らしく、それも最近は写真の被写体としても有名らしく無断で商用雑誌に掲載不可とものものしい立て札が。 能舞台の橋も左側に大きくせり出している立派な舞台にしばし時間を忘れる。

神社と能楽堂をお守りしているところで記念に絵馬を買うも、プリント絵馬と手書き絵馬の薀蓄を一通り聞かされたあと、手書き絵馬のここ独特の絵柄のにする。 山岳信仰に欠かせない烏天狗と天狗が薄い彫りをほどこされ焦げ茶と緑と赤で彩色。 目玉の白い部分が強調されたなかなか渋いもの。

手書き絵馬のほうが普通のよりも高いので気をよくした社務所の人がおまけに白山神社と能楽堂が入った絵葉書をくれた。 絵葉書をみても、大きさからいえば神社よりも能楽堂が大きい。

さて、もう帰り道。 金色堂の方向にもどるときに立派な竹林を見る。 石碑があり日本画家の前田青邨画伯が句を読み揮毫したもの。

「人も旅人、われも旅人、春惜しむ」  前田 青邨

 

遅い午後に岩手県平泉を出立してその日の深夜近く東京に。


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一関、達谷窟から毛越寺そして平泉へ [旅]

2009年晩夏の東北のドライブ旅行の続き。 うかうかしていたらもう秋真っ盛り。 時間に余裕のある人は秋の観光旅行か。。。。

さて岩手県一関から平泉にぬける道には見所が一杯。 平日の朝、達谷窟で狛犬をみて、きた道をもどると、大きな鳥居のまわりにも古い石仏様が。 とても可愛らしい口元で思わずチャーミング!!!な石の観音様が。

さて達谷窟の手前には毘沙門堂が。 知らない旅人は最初に毘沙門堂におまいりしたが、参道路の矢印ではこちらが最後だった。 木立のなかの毘沙門堂はひっそりとした味わい。 そしてその先には人の住む茅葺の古くて新しい感じの民家が。

また車で北上。 今度は毛越寺。 ここは池があり、雅な池での平安時代の遊びが再現されて観光名所らしいが、夏の終わりにはひっそりと、そして平泉が京を意識した街づくりをしたのが良く分かる。 毛越寺には金色のお釈迦様が。 とても上品な感じ。

毛越寺をすぎて、金色堂で有名な平泉の中心。 駐車場のまわりはぎっしりお土産やさん兼食事どころ。 何となく高野山の参道を思わせる上り坂。 坂のまわりには鬱蒼として木々が。 あちらこちらにお堂などが。 お賽銭でも少なめにしたとしても直ぐにコインはなくなってしまうほど多くのお堂が。

そして少し開けた場所には金色堂への切符の販売所が。 金色堂へは参道から左に。 そしてありがたいあの金色堂を拝観する。 金色堂は藤原氏4代の永代供養もかねているようで、棺も。

金色堂から来た道をもどると、そのまま参道の右には木々が風になびいて。 その突き当りには有名な能舞台が。 (続く)

 


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秋田県から岩手県~一関に~ [旅]

2009年8月末から9月初旬にかけて東北へドライブ旅行その続き。

秋田県角館市武家屋敷通りをお昼頃出発して岩手県一関市に向かう。 一関は平泉、中尊寺が有名だが、中尊寺の拝観は明日に。 角館市から2~3時間で一関市に出る。 一関では骨寺村荘園遺跡に向かう。 平安時代の「陸奥国骨寺村絵図」で描かれている荘園の形、神社などがそのままに現存しているということ。 この荘園は平泉の寺に属していたということだった。

一関は非常に観光道路が整備されているところ。 美しい道路を西に。立派な観光道路を過ぎて、少しひなびた感じのところにあるので、不思議な骨寺村。 最初に骨寺村という字を見たとき言葉を失った。 地元の人は「ホンデラ」と発音しているが。

骨寺村荘園遺跡というだけあって、案内所を見落としていたならば、田んぼのなかのどれが遺跡なのかわからないほどだが、近くに観光案内所というのが設けてあって、その前には野菜の直売場兼駐車場。

9月初旬の平日の駐車場はガラすき。 田んぼに向かって道を進む。 左側の小山の上に神社。 その神社から眺める骨寺村荘園が一番いいと観光案内所で教えてもらう。 夏のなごりの眩しい日差しのなかで、村の鎮守の神社の木立の緑陰のなかで一息。

骨寺村荘園から今夜の宿に向かう前にもう一箇所。 厳美渓という伊達政宗が好んだ岩と急流の地。 栗駒山から流れる磐井川が急流となって渓谷美。 川の両側には団子屋が軒を連ねている。 場所は以外と平坦なところで、ここが渓谷なのだと少し驚くところ。 少し下流にはつり橋が掛かっていてなかなか風情のあるところ。

宿の場所は一関の小高い丘の上にあり、とても見晴らしがよかった。 

次の朝、旅程としては最終日、平泉に向かう。 厳美渓に近いところまで車でもどって、厳美渓とは反対側の右(地図では北)に向かってゆるいのぼりの道を行くと、達谷窟毘沙門堂、毛越寺、そして平泉の中尊寺へ向かう道。

朝はまだ参拝客もなく、我々が一番のり。 達谷窟毘沙門堂へ。 西光寺というのが寺の名前らしいが、毘沙門堂に行く前には大きな鳥居が。 鳥居だけ見ると神社なのかとおもう。 昔の神仏混合という形。 毘沙門堂は大きな巨石の横腹のくぼみ達谷窟にへばりつくように立っている毘沙門堂。

大きな巨石は、京都清水寺で有名な坂田田村麻呂が蝦夷討伐をしたところで、毘沙門天の加護をえて鬼退治という場所。 北海道に行くと、やはり蝦夷を追い詰めた場所というのがあるし、大きな岩や岩山であるのは共通。

毘沙門堂には古びた狛犬さんが一対。 あまり古びてなんとなく懐かしい味わいの狛犬さん。 (続く)

 


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秋田県角館市武家屋敷通り [旅]

2009年遅い夏休みの東北へのドライブ旅行の3日目の続き。

秋田県角館市の武家屋敷通りはすでに暦では9月に入り平日でもあってか、人通りも少なく静かな佇まいの風情を満喫。 武家屋敷通りの一番奥、北に位置する石黒家は、一般に公開しているけれど、現当主一家が実際に居住している家屋でもあって、そのため座敷などきちんと保たれている。

石黒家が武家屋敷通りで公開しているところでは最も格式が高く、築200年ということ。

石黒家を見学させてもらって、通りを横切り角館桜皮細工第二センターで、桜皮細工の小物を購入。

そしてその場所と丁度反対側に向き合うところに、青柳家が。 青柳家は、酒田市の鐙屋さんと同じ、市や県が整備して角館歴史村・青柳家としているところ。 こちらは展示に主体を置いたもので、建物も建物の作りを愛でるというよりは、工芸品などの実演・展示、そして武家の武具などが。

女性で日本民具や手仕事に興味を持っている人は、ご存知かもしれないが、東北は篭細工が、それも葡萄のつるなどでつくった買い物篭は、東京高島屋でも1つ8万円とか9万円の値段がついているもの。 葡萄のつるでつくる篭などは特別の職人さんの手になるもの。 興味ない人にはこの普通には何の変哲もないこげ茶色の篭になんでこの値段がとおもわれるかもしれないが、角館市の青柳家でも、それらの手細工物が展示してあった。 

それらの展示などが多かったせいか、興味ある家としての造作の写真は結局撮り損ねてしまった。 歴史村としているだけあって敷地は3000坪、秋田蘭画展示など資料館があった。

蔵も開放してあり、江戸時代の着物も数は少ないが衣桁に打ちかけが2枚と反対側には裃セットが2つ。 驚きはその色合い。 時代劇にでてくるお姫さまが着ている赤や金の金ぴかの打ちかけとは違い、ペール・ブルーやベビー・ピンクの地に刺繍した大変上品なもの。 裃も写真にはとらなかったがこちらも薄いブルーやブルー・グレーといった若々しいけど落ちついた色合い。 裃は見た目にはかなり小型で、子供用ではないが、これは大人用?と思われるもの。

展示物のなかで重要なものはガラス・ケースに入っていたが、座敷のところにも面白いものが。 かい巻き布団だとおもうが、どてらを大きくしたような掛け布団が、とても斬新なデザイン。 ちょっと黄八丈ににた黄土色系の縞の渋い柄のものが客用の絹を使ったものらしい。 

お庭は敷地が3000坪としていることからかなり広大。 庭というより大きな農家の菜園みたいな部分もあった。 最後にこの青柳家で有名なハイカラ館で、ケーキとコーヒーで一休み。 サロン・カーテンのいい見本みたいな真っ白なカーテンが風に揺れる奥まった席で。 

 


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