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美しい体操日本の系譜:富田選手から内村選手へ [表現の形]

2011年10月18日 秋も深まってきたが、時折まだ暖かい日が。

先週、世界体操選手権が日本で開かれていたが、久しぶりに男子の体操のTV放映を観た。 Lalaの世代だと、月面宙返り、ムーンサルトなどの技が披露されていた頃。

2008年の富田選手の引退の引き金をひいたのは当時、体操が美しさからアクロバティックな技が評価されはじめ、富田選手はそれでも体操は美しくあるべきと引退時の何か特番で見た記憶。

その頃、日本で富田選手より上位にランクされはじめたのが内村選手。 富田選手は28歳、内村選手は18歳頃。 美の富田選手に対し、若さと大胆な技の内村選手・・・といわれていたような。

その内村選手が世界体操選手権で個人総合3連覇の偉業を達成。 まだ22歳。 団体戦のころはところどころしかTVでみなかったが、個人戦では6種目堪能しました。 最近、正直言ってまじめに体操の試合を観ていないので、採点方法などわからないが、 DとEでDは技の難易度、Eは美しさということらしいが、個人戦に出場した選手のなかで、内村選手がすべてEは9点台をそろえて、圧巻の優勝。

まだ22歳で倒立の時の足の美しさ、あの富田選手が体操の美しさを追求していく・・・といった時の表情を思い出した。


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華道「塋心流」のいけばな展、アゲイン [表現の形]

2011年2月の上旬、恵比寿ガーデンプレイスで、華道「塋心流」のいけばな展に行った。 前回初めてこの流派のいけばな展に行ってから、2年ぶりだと思う。  2月の小雨が降っていた日だとおもうが、いけばなに使われた花材はすべて春を題材にしたもの。

これだけ多くの活花の春の雰囲気を味わう喜びを感じていたが、あれから1ヶ月半以上たつ。

東日本大震災の被災地や福島原発の復旧作業がまだまだ予断を許さぬ状態なれど、春の活花を愛でて癒されたい。

DSC02397生花1.jpgDSC02400生花2.jpgDSC02402生花3.jpgDSC02405生花4.jpgDSC02425生花5.jpgDSC02427生花6.jpgDSC02428生花7.jpg

 

 


浅田真央選手が復活 [表現の形]

12月最後の土日はアイス・スケートの日本選手権大会。 浅田真央選手がトリプル・アクセルのジャンプを建て直して、SPで1位。 フリーは2位で総合2位。 安藤美姫選手の今シーズンの圧巻のフリーの前に、浅田真央選手のフリーはまだ滑り込みが十分ではない印象だったけれど、兎に角、トレードマークだったトリプル・アクセルを2度跳べたことで、今後の王者への復帰の足がかりが掴めた感じ。

SPでは、佐藤コーチからトリプル・アクセルはやめてダブル・アクセルにしてはということだったが、浅田選手自ら、トリプル・アクセルを跳ぶと直訴した結果。 ここでトリプル・アクセルを跳ばなかったら、先も跳ばない選択・・・・即ち、トリプル・アクセルを捨てることになる・・・からというのがその理由だったところに、浅田真央選手の選手としての強さがあると思う。

Lalaも昔自動車免許を取ったものの、自分の車を持つまでに数年かかった。 やっと新車を池袋のディーラーで受け取って、自宅まで走らせてきた。 車庫入れに梃子摺って何回も切換えを繰り返していたら、通りがかった人が見るに見かねて、代わりに車を車庫入れしてくれる・・・と親切に申し出てくれたのだが、Lalaは断った。 ここで人に頼っていたらいつまでたっても車庫入れが苦手になってしまう。 多分30分くらいかかったろうか。 ようやっと車を所定の位置に停止させやれやれ。

浅田真央選手の選手としての強さが、浅田選手を応援する人の心をとらえるのだと思う。

 

 


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Lalaの写真が好きな方へのお願い [表現の形]

Never Give Upのブログに貼り付けてあるスライド・ショーの形式の写真掲載は、So-netブログの都合で、So-net Photoのサービスがこの4月一杯で停止されることから、Lalaのスライド・ショーの映像もそれ以降は見れなくなります。

Lalaの撮影した写真はオリジナルやUPしたバージョンが手元にすべて残っており、今でも読者の方の人気の高いもの、また自身で気に入った写真から、各記事に張りなおしていくつもりですが、枚数が多いので、相当時間がかかると思います。

もし、Lalaのブログを訪れている方で、これだけはまだ見たいと思っている写真がありましたら、何年何月何日掲載の記事のタイトルを書いて、この写真を見たいと、この記事の下にあるコメント欄にご希望を書いていただけませんか?  

写真そのもののタイトルはLalaのSo-net PhotoにUPしてある写真の下に書いてありますが、なくても何とかなります。

よろしくお願いいたします。

Lala


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中村俊輔が“中村俊輔”になるには [表現の形]

2010年4月2日 これからUEFAチャンピオンズ・リーグ バルサ対アーセナル戦を見るところ。 アーセナルのスタジアムでバルサは黄色のシャツ。  明日は横浜日産スタジアムに出かけ、横浜Fマリノス対清水エスパルス戦を観戦する予定。 切符は購入済み。

試合が始まったので記事はそのあとで。

バルサ対アーセナル、凄かった。 試合については、明日でも。 

Number750 4/1号を最初キオスクで見たときは、創刊30周年特別編集として30th日本サッカー・マイ・ベストゲームとして否に回顧調なのがピンとこなくて買わないでいたもの。 2010年で、チャンピオンズ・リーグも佳境で、WCを6月にひかえ、いまさら古いことを懐かしむのはタイミングが変と思っていた。 会社の昼休み、近くの本屋で、サッカー小僧はまだ新しい号が出ていなかったので、残っている雑誌を立ち読みしたら、Number750に中村俊輔選手とエトー選手の記事が出ていたので購入。

横浜Fマリノスの復帰の事情と対湘南戦について書かれていたが、それはすでに報道されている部分でもあるのでここでは書かない。

ところが次の頁には、中村俊輔選手にインタビューしたかなりプライベートなことが書かれていたので、選手としてあまり知られてないと思うことをいくつか紹介する。

下の写真は3/13ELGOLAZOの表紙。 こちらも横浜Fマリノス対湘南戦を向かえる準備号のようなもの。

DSC01382俊輔1.jpg

さて、中村俊輔選手のあまり知られていないプライベートな話は、多分adidasが世界的に新発売した男性用スキン・プロテクションの広告と連動した記事のようだが、それは兎も角、皆さん、中村俊輔のこんな話知っていました?

中村俊輔が“中村俊輔”になる方法・・・

―グラウンドに行けばスイッチが入る。 どのチームだろうと、毎日、全員敵というかんじ。 今日一日、俺が一番いいプレーを見せてやる。 そして監督にアピールするぞ!

―試合のある日、前日からチームとともにホテル。 当日の朝ごはんはバナナにヨーグルトをかけて食べる程度。 空腹のときでもご飯半膳に焼き魚を少し。 体の中にあまり入れたくない。 年を取れば取るほど、意識的に軽くするようにしている。

―ロッカールームに入ると、必ず俺は3足スパイクを並べる。 練習用、前半用、後半用って。 前半、点を取って帰ってきても、変えることがある。 それは気分。 『前半決めたけど、俺満足しちゃってる。 よし前半は終わりだ。 後半行くぞ!』と思って変えたり、汗や雨、土でスパイクが重くなっていることもある。 重いのが何より嫌なんだ。 後半新しいスパイクのほうが気持ちもいいし革の具合もいいからね。

―ハーフタイム、ロッカールームにもどってくるとユニフォーム、ソックス、下着を脱ぎ裸で監督の指示を聞く。 外国の選手はたいてい着替えない。 最初はみんな、『えっ?』ってかんじで見るけど、俺が試合で結果だすから、『ナカにはナカのスタイルがあるんだ』って納得してくれる。 俺はやっぱり、きれいな自分で後半行きたいから全部着替える。 そのうちミーティングが始まっちゃうんだ(笑)。 試合前も気分的になんか嫌だなって思ったらパッとシャワー浴びるし。 自分に気持ちのいいことならいいでしょ?

―俺は子供の頃からずっと髪の毛を切る店を変えていない。 床屋だけど、俺の髪質、頭の形を一番良く知ってくれている人がいるから、そこに行く。 店構えは関係ない。 

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アイス・スケート世界選手権女子シングル、浅田真央選手が金メダル! [表現の形]

2010年3月27日 というか28日午前1時。 イタリア、トリノで行われているアイス・スケート世界選手権、女子シングル、浅田真央選手が金メダル。 いま表彰式の準備中。 よかった、よかった、よかった。 

昨日のショートでは、キム・ヨナ選手7位。 フリーでは得点が出て1位。 1回転んで、3回ぐらい演技が抜けてしまったシーンがあるが130点。 浅田真央選手トリプル・アクセル2回いれて成功したように見えたけれど、多分回転不足(やはり1回分は回転不足)で、129.5点でキム・ヨナ選手にはすこし及ばずだけど、ショートで2位だった預金が効いて、1位。 

浅田真央選手おめでとう。 ショート1位だった長洲未来ちゃんは、演技前のコーチのおじいさんが凄く怖い顔で色々アドバイスして送り出したけれど、緊張のせいか得点がでず、7位。

いま表彰式。 浅田真央選手表彰台。 3位はフィンランドのレピスト選手。 浅田真央選手笑顔というよりはかなりマジメな顔。 君が代を歌っている。 唇が動いている。

男子シングルの高橋選手と女子シングルの浅田真央選手のアベックで金メダル。 

バンクーバー・オリンピックの前、 ロッテの御菓子を2個買ったら、浅田真央選手の姿を映したクリア・フォルダーを1枚くれるというので、コアラのマーチを買って、1枚選んだら、店員さんが、2,3枚持っていっていいといってくれたので、遠慮なく4枚ゲットしました。

今シーズンの有終の美を飾れた日本を代表する浅田真央選手、本当に良かった。


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中村俊輔選手へエールを [表現の形]

今アジアカップ最終予選の速報を見ながら、前半終了で、2対1と日本が負けている。 平山選手がヘディングで1点決めたとこ。

さて今週発売の週刊サカマガNo.1273 2010.1.19 は中村俊輔選手のファンだったら買うべき。 エスパニョールでの中村俊輔選手の置かれた状態をよく取材している。

それを読んで思ったのだが、Lalaの経験が役に立つのではないかと。 中村俊輔選手がこのブログを読んでいてくれるとは思わないが、もしかしたら事務所の人が見て伝えてくれることを期待して。

(ちょっとちょっと、ストラカン監督が映っている。 FAカップ戦のマンチェスターC対ミドルスブラの試合で1対0でマンチェスターCが勝っている。 これでFAカップ戦はマンチェスターUの敗退、アーセナルの勝利と3試合観戦できた)

Lalaがフランス、パリにあるグラン・ゼコールの大学院に行った時のこと。 Lalaは帰国子女ではないが、最初に勤務したのは米国系の外資企業、次は英国系の外資企業、そしてカナダ系、今は日本企業という転職歴。 従って、米国や英国、そしてヨーロッパには仕事で何度か出張した経験を持つ。 英語で仕事をしてきた経験が長いから、普通に考えて、平均的サラリーマンよりは外国人や英語での日常に慣れているほうだと思う。

パリはサンジェルマンのルーブル美術館の対岸、オルセーオー美術館にも徒歩圏の地にその大学院はあった。 大学のほうはパリ近郊に近代的なキャンパスだったが、大学院は古い大理石作りの建物。 最初はアパートが用意できなくて、ホテル暮らし、途中で日本にいた友人のフランス人のマンションを借りることが出来た。

(日本対イエメン、平山シュートで2対2で日本追いついた!)

大学院は非常に国際色豊かで、ヨーロッパや中近東から学生が集まってくるし、勿論フランス人や米国人も。 当時の大学院(MBA)の主要科目はファイナンス、マーケティングそしてIT. また組織論からかなりの教科でグループ単位の活動が求められていた。 1単元は3時間。 朝9時から夜9時まで。 

最初のクラスで、グループにわかれてと教授が指示。 途端にLalaのまわりでは仲良しクラブがグループに。 Lalaが席に近いグループに入ろうとしたら、途端に7割方がさっと居なくなってしまった。 グループの定員が決まっているわけではないのでどうにかその減ったグループに入っていたが、ドイツ人とアメリカ人のカップル、中近東の金持ちお坊ちゃん、シンガポールの怪しげな弁護士、オーストラリア人など。 それでもLalaが受け入れられたというよりは教授がどんどん授業を進めるのでなんとなくそのままということで、グループの課題の小論文(これもグループ単位)のかなりの部分を書いて、英語もまあまあということで、やっとグループの一員として受け入れられた。

(日本対イエメン。平山ハットトリックで日本3対2と逆転だ。)

パリについてまだ1週間ちょっとなのに、長い授業時間に緊張を強いられる授業、友達など誰もいない。 一人の食事。 毎日3度の外食。 なれぬホテル暮らし、かなり勝手の違うパリの生活で、ある日授業中に気分が悪くなり、救急車でパリの病院へ。 それでも入院するほどではないということで処方箋と飲料はしばらくは炭酸をとばしたコーラという生活。 フランス人のマンションに移動。 そして日本に姪の結婚式に参列するため、2泊3日のトンボ帰り。 授業に必要な資料を買い込んで再びパリへ。

日本に帰っている間に別の教科で、グループにはITの課題が課せられていた。 その時のグループのボスは英語も頭もずば抜けていたインド人。 弁舌爽やかで明晰な理論展開ができる達者な英語力で教授や他の学生からも一目置かれていた人。 3日間授業に参加しなかったLalaは課題もグループの他の人に押し付けた形になってしまったので、恩着せがましく嫌味(自分がいるからこのグループはAをゲットできる、だから授業に出ないのか?みたいな)をいったインド人だったが、こちらが参加できなかった理由を説明した後、そのまま動じないと(いうか他に方法がなかったのだが)、グループの一員として扱ってくれてそのグループは成績も良かった。 

それからは無理をしないし、あまり先のことを考えず、クラスで自分を押し出すことに専念した。 教授やグループにアピールするためには、クラス・プレゼンテーション(課題の分析を報告書にまとめそれを皆の前で発表する)にも積極的に参加。 

日本からもってきた資料で小論文にも独自性を出す工夫をし、プレゼンテーションには(実際に発表できる学生はクラスの一握りで一度もプレゼンテーションできない学生のほうが多い)できるだけ参加の意思をアピールし、自分の考えを主張する。 多分そのクラスのなかでプレゼンテーション参加率はトップ10に入るレベルだった。 そして最後はクラスで教授賞を争うコンペティション。 優勝で教授からシャンパン・マグナム・ボトルを贈られた。

パリの大学院は成績を争う場で、ビジネスの場と異なり一切斟酌なし。 日本人は大人しいから甘くみられやすい。 が、実力と評価がものをいう世界では、出せなければ後ろへやられてしまう。 言葉がわかれば、話していることは大抵はたいしたことをしゃべっているわけではない。 自分の居場所を探すというよりは、自分はこうなんだと主張すると、以外と相手は一歩ゆずってくれる。 相手に合わせるというよりは、自分の存在価値を認めさせることで相手が合わせてくるようになる。

中村俊輔選手の大人しい謙虚さを出すことで、逆に中村俊輔選手のよさと強さが相手にとってはわかりにくくなっている一面もあると思う。 バルサではなくエスパニョールなのだから、掛け値なしで中村俊輔選手より実力として上にくる選手はいない。デラペーニャ選手も10月頃の何かの記事で、中村俊輔選手がスペイン・リーグでも有数のテクニシャンであるということを認めている。 だから中村俊輔選手が エスパニョールで遠慮したり、相手に受け入れられようとへりくだる必要はない。 ヨーロッパではそれが悪いほうというか、そういう謙虚さとは無縁の地で、勿論礼儀正しいことは美徳なれど、ましてプロ・スポーツの世界でそういう謙虚さは全然理解されない。 表面はともかく、実際は馬鹿にされるだけ。

 


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ラグビーとサッカーと-PartII [表現の形]

先週の週末だったと思うけど、スポーツ・チャネルをくるくる回していた時、どこもサッカーの試合をしていなかったので、ラグビーの国際大会の前哨戦と位置づけられていた、多分福島のスタジアムだったと思うが、カーワン・コーチの率いるラグビー日本代表対カナダ代表の試合を中継していた。

今年の夏も確かラグビーのU20かU22のラグビー・ワールド・カップの大会が日本で開かれていて、この夏の終わりにラグビーWC2019の日本招致に大変貢献できた大会だったがこれも何試合か見た。

ラグビー日本代表対カナダ代表の試合は予想に反して圧倒的な日本代表の強さが発揮された試合だった。 こんなに強くなっていたなんて驚き。 サッカー日本代表とは明らかに違うのは、ラグビーについてはほとんど何も知らないからもしかした幼稚な疑問なのかもしれないが、ラグビー日本代表には明らかに異色な選手が多数含まれている。 例えば、トライした後に与えられるフリー・キックのようなものは相手エンドにたつ2本のポールの間にボールが収まれば得点になるが、日本代表として決まって蹴るのは明らかにインテリっぽい印象の外国の選手のよう。 そしてそれがほとんど100発100中らしい。

こう書くとカナダ代表が弱いという印象を与えてしまうが、今年と昨年の戦ったのはほぼ同じメンバーだったカナダ代表に昨年は日本代表は全然歯が立たなかったらしい。

ときおりスタジアムのガラス張りのコーチ席にいるカーワン・コーチが映る。 確か2年前にコーチに就任した時は、本当に弱くて有名だった日本代表のチームの建て直しと強化に白羽の矢があたったカーワン・コーチと紹介されていたが、本当にこの2年で、カーワン・コーチのブランド力で(海外からの移籍で?)選手強化もスムーズにそして体格の差が諸に出やすいラグビーでこんなに強く進化するとは。 29対7だったか試合結果は。 

カーワン・コーチの率いるラグビー日本代表の目指すラグビーWCは2011年。


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スペイン語習っていた中村俊輔 [表現の形]

7月1日 移動の日だった。 親族の最高齢の方の告別式に出席する為、北陸にトンボ帰り。 乗り物に乗っていた時間だけで8時間。 明日は仕事があるから、一泊も出来ず。

さて、エスパニョールに移籍の準備中の中村俊輔の記事は、これからはスペイン語文化のなかでの記事探しということで、英語圏のスポーツ記事程には簡単には行かない。

Lalaが一応外国語として習ったのは英語とフランス語。 スペイン語はまるっきりやっていない。

中村俊輔選手がセルティックで誠人ちゃんという通訳を常時身近に置いていたということだが、実際に生活できるレベルの英語力はあるらしいし、その前に在籍したレッジーナのイタリア語も当然相手の悪口に言い返したり、レストランと交渉できるレベルのイタリア語力はある。

そしてスペイン語だが、確か19歳で横浜マリノスに入団(本当は18歳だったのか?)した当時からいつかスペインでサッカーしたいと目標立てて、スペイン語の勉強はしていたということだから、エスパニョールにいっても直ぐにスペイン語での暮らしになれるような感じ。 サッカーに関していえば言葉はいらないほどサッカーそのもので共通したコミュニケーションはとれるということだから心配ない。

中村俊輔選手の携帯サイトでの決意表明をみても、死に物狂いで頑張る、地に這い蹲ってでも。。。ということ。 

というわけで、Lalaも初めてスペイン語-日本語辞書を購入。 でも一からやっている時間ないから、インターネットの翻訳サイト使ってみたけど、やはりスペイン語-日本語たぶん英語ー日本語も正直使えない、これは。。。と思ったが、思い直して、スペイン語-英語にしてみたら、かなり精度あがっており、使用可能なレベル。

そして、発見。 スペイン語にはバスク語やまた固有の表現があり、それは英語に翻訳されないで、そのスペルがそのままに。

バスク語からはGoiko。 意味は“高い” これは中村俊輔選手の記事に使われていた形容詞。

そしてスペイン語のfichaje。 購入した辞書によると、フィチャヘと発音するらしいが、意味は“スポーツ選手の入団契約”。。。流石。


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普通のサラリーマンから見た横浜Fマリノスの今回の交渉の失態の原因 [表現の形]

すでに中村俊輔選手のエスパニョール移籍が決まり、流れとしては既に次のステップに動いているのに、未だに横浜Fマリノスの今回の交渉の失態について、相変わらず記事にされているのは、当事者双方にとってマイナスにしかならない。

Lalaも昨日かなりのスポーツ誌を読んだから、大体はつかめたけど、今回の交渉の決裂の本質は、横浜Fマリノスが、交渉の最後、トップを含めた首脳陣が、交渉の内容についてその場でもう一度交渉できると、セレモニーにしなかった、その意識の低さの問題だと思う。

これは多分親会社から派遣されている首脳陣が、本業である製造業、しかも下請けピラミッドに支えられている自動車産業で、下請けに対する交渉と同じ感覚を持ち込んだというか、今のプロ・スポーツ・ビジネスには何の情報も収集せず、知識もあまりないのに勉強しなかったのではと思う。

下請け相手だと、かなり言いたい放題、自分達の無理難題の要求を押し付けるのに慣れていると思われるこの自動車産業と、このプロ・スポーツ・ビジネスの交渉は全然別世界。 

しかも海外で実績も積み、特に下手に出る必要などないのに、条件が悪くても、サッカー日本代表について自分が日本にもどることで、自分の経験値を他の選手にも分け与えたい、そして自分を育ててくれた古巣への愛着心から、復帰したいという中村俊輔選手の意思という最初の前提があったから、横浜Fマリノスの首脳陣は自分達が交渉の主導権を得ていると勘違いしたと思う。

そうじゃないでしょ!  折角現場サイドで苦労して詰めてきて、最後中村俊輔選手に契約書に自筆でサインもらえば完了。。。というところで、親会社の方針で最後まで有利に金額というか支払い条件や期日等(少しでも下げさせた実績で、親会社に忠誠を示したかった派遣首脳陣)交渉したかったというか出来ると思い込んだその意識の低さ。。。とても世間様には説明出来ないお粗末。


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