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Jリーグ再開とクラシコ2試合 [サッカー]

2011年4月24日 23日からJリーグ再開。 東日本大震災の被害を受けたベガルタ仙台や鹿島アントラーズに関心がより集まった試合。 やっと動き出した。 

国立競技場で鹿島アントラーズ対横浜Fマリノスの試合。 雨が降って滑りやすくなったピッチ。 開始早々、一瞬のスキを捕らえて、右サイド駆け上がってきた小椋選手がグラウンダーのシュート。 濡れたピッチを推進するボール。 横浜Fマリノス先制点。 するとこの1点を大事に、守備的戦い・・・これは最近あまり見ない横浜Fマリノス。 

昨季の実力からいえば上の鹿島アントラーズは攻撃を仕掛けてくるが、ゴール前を固めた横浜Fマリノスを崩せず。 後半、右CKを蹴る中村俊輔選手。 それを中央ヘディングで落とすと、栗原選手がシュートで2点目。 終了間際、カウンター攻撃の横浜Fマリノスの突破、それを防ごうと併走した鹿島アントラーズのオウン・ゴールで3対0. 横浜Fマリノスとしては泥臭い試合運びだが、鹿島アントラーズを圧倒。

スペインでは、バルサ対レアル・マドリーの2試合が面白かった。 ラ・リーガでのクラシコ対戦ではメッシの1点を守ったバルサの勝利。 

スパイン国王杯の決勝戦はバレンシアでバルサとレアル・マドリー。 これは先のラ・リーガの試合よりも、より接触プレーが多い、消耗戦だった。 特にメッシ選手への対策と、全員守備もいとわない、Cロナウド選手の1トップ。 メッシ選手へのプレッシャーが強く、なかなかいい位置でボールがわたらないと、どうしてもボールを受ける位置が下がってしまう。 双方一歩も譲らず、延長戦へ。

延長戦へ入っても、時折鋭い出足を見せるCロナウド。 徐々に疲れからかバルサのパス回しに異変が。 つながらなくなる。 そしてレアル・マドリーがパス・カット後のカウンター攻撃。 抜群のスピードを見せるCロナウド。 左サイドからのクロスにヘディングであわせたCロナウド。 ジャンプの滞空力も抜群。 この1点でバルサを突き放し、レアル・マドリー今期待望の1冠。

 


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最近のサッカー事情について私見 [サッカー]

しばらくブログUPご無沙汰でした。 会社の仕事がかなりハード(この土曜日も研修)だったのと、PCの調子が悪く、残暑もありスタミナ不足というところ。

昨夜はイングリッシュ・プレミアのチェルシー対ストークの試合を観戦。 チェルシーが3対0とここ3試合快進撃。 最初PKを得たチェルシーでキッカーはランバード。 ランバードの右を狙ったシュートはいつもよりスピードと鋭さがなくストークのGKに簡単にセーブされてしまった。 このGKは2010南アで日本代表が戦ったデンマーク代表のGK.

今朝スポーツ・ニュースをチェックしていたら、ランバードはこの試合の後ヘルニアの手術したらしい。 

ドログバはこの試合でCK、 FK、 PKをすべて蹴った。 スピードといい鋭さといい他の選手とはかなり異なる球質。 ドログバ絶好調でチェルシーは3対0で、3連戦。

ドログバ、ランパード、中村俊輔選手は1978年生まれ。 

イブラヒモビッチは、セリエAのミランに移籍が発表になった。

絶対的ストライカー・タイプのイブラヒモビッチはバルサでは宝の持ち腐れだった。 守備的布陣でDFからのロング・ボールで始まることの多いカウンター攻撃で数少ないチャンスの得点確率を高めるのに不可欠な絶対的ストライカーだが、ボール・ポゼション優位のパス・サッカーで中盤との連係が求められる器用さまでイブラヒモビッチは求められたため、09/10では徐々にその輝きが失われていった。 もしかしたらレアル・マドリーのほうが活躍できていたかも。

さて、日本代表の招集された選手名を見るとFWは岡崎選手と森本選手。 数は数えなかったがMFはいつもの2倍ぐらい。 中村俊輔選手にも打診はあったそうだが、まだ代表監督も決まらず、チーム作りの方向性も見えないなか、代表引退を表明しているから、辞退は当然といえば当然。 

FW2名というと、前日本代表監督の岡田さんがWCでとった0トップの戦術で戦うつもりか? ボランチで大活躍だった阿部選手もいないことからどのような戦いになるのか? 

 

 


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セルティックのファン・サイトが2009年末に発表していたこの10年間で最も素晴らしい選手10人 [サッカー]

中村俊輔選手も日本代表の練習に合流して、リラックスして楽しそうな様子の映像が流れているが、やはりスペインでの日々は大変だったんだろう。

今さらセルティックの話もと思うかも知れないし今のセルティックは中村俊輔選手が所属していた頃とはまるっきり変わってしまった感じだが、2009年12月31日の大晦日に、セルティックのファン・サイトが、この10年間にセルティックに在籍した選手Top10を発表していたので日本語で紹介する。

ファンサイトはVideoCelts:

タイトルはシンプルに「この10年のセルティック選手Top10!」

1.ヘンリック・ラーション  この偉大な選手に言葉はいらない。 この10年の一番幸せなセルティックの時間にいた段違いの選手。 欠点なし。

2.クリス・サットン  キング・メーカー  3つのポジションで仕事をし、ラーションとのコンビは抜群

3.中村俊輔  サットンと同じく天才。 彼のボール・タッチは非凡なもの。 フリー・キックは言うまでもない。 チームに多大に貢献。 チャンピオンズ・リーグでのマンチェスターU相手のあのFK2本は比類がない。

4.ニール・レノン レノンはマーティン・オニールのチームの成功に不可欠な存在だった。 そして次のゴードン・ストラカンのチームへの成功の架け橋となった。 

5.アラン・トンプソン オニール監督のもう一つの作品。 対レンジャーズでも対バルサでも得点した。

6.ヨハン・マルビー マーティン・オニールのチームで攻撃的DF.

7.アルツール・ボルツ 最初はローンでたった100万ポンドで移籍したが、セルティック最高のGKに。

8.ジョン・ハートソン ファンに非常に愛されたFW。 ゴールに向かう野獣のような突進力は他の選手には見ないもの。 セルティック時代に100ゴール以上得点した。

9.ルボ・マーべリック 毎回レギュラー取りというわけではなかったが、調子がいい時の彼はマーティン・オニールのチームで皆を驚かせるテクニックとトリックを駆使して楽しませてくれたエンターテイナー。 

10.エイデン・マクギディ 最も天与の才能に恵まれた選手。 煌きで輝く時とフラストレーションの時と。 彼がいなかったらセルティックの試合はもっとつまらないものに。

オリジナルな写真と記事はこちらから。

http://videocelt.blogspot.com/2009/12/top-ten-celtic-players-of-decade.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+blogspot%2FAPMx+%28Video+Celts%29


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雑誌“サッカー小僧テクニカル”―――「もっとうまくなるための判断力」② [サッカー]

雑誌“サッカー小僧”テクニカル(平成22年3月12日付け)の注目すべき記事「もっとうまくなるための判断力」の続き。 Vol.1 “シュート練習”、Vol.2 “ひとり錬”、Vol.3 “ゲーム形式”

“シュート練習”は前回とりあげているので、今回は“ゲーム形式”。 “ひとり錬”はその名の通り、一人で壁打ちクンとか、仰向けクンとか、一畳クンとか名前は面白そうだが、やはり地味だし説明しなくても何となく想像できる。 そこで、Vol.3 “ゲーム形式”について。 昔のドッジボールを思い出したので。

この章のサブ・キャッチは「トッププロがやっている脳が汗かくトレーニング」

これは3対3でやる足でボールを動かすのではなく手でもってやるパスゲーム。 南米で人気のハンドパスゲーム。 やり方はバスケットボールのように手でパスを回しながらカットされたり、落としたり、ボールをキープ中にタッチされたら攻守交替。 この場合のドリブルはボールを持ってそのまま走るというもの。 

手でボール回しをする理由は、足で扱うと難易度が高くなってしまい、頭の中がボール扱いで一杯になって回りを見る余裕がなくなるから。 手でボールを扱うことで、まわりの状況、スペースの使い方などを考えられる余裕が生まれる・・・ということらしい。

南米のチームでは1週間に1回の割りあいで、全員で広いピッチを使って楽しむらしい。

バスケットは手でもって走るというよりはバウンドしたり、パスしたりしているけど、これはもしかしたらボールを持った鬼ごっこか???


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雑誌“サッカー小僧テクニカル”―――「もっとうまくなるための判断力」① [サッカー]

3月12日付け発行の雑誌「サッカー小僧テクニカル」の内容がとっても“濃い”ということは先日紹介したが、そこでの主要トピック特集1は「スペイン最強選手直伝ドリブルレッスン」。 こちらについては興味ある方にはこの雑誌を購入していただくことをお勧めして、その後の特集2の「判断力を高めるトレーニング」について紹介したい。

オシムさんも判断力を早くすべきと何度も取り上げている部分で、この判断力、サッカーなどスポーツはもとより、通常のサラリーマン・ライフにも有益なアドバイスでは。

さて雑誌「サッカー小僧」でいう判断力とは:  (取材と文は熊崎 敬氏)

〔チーム練習編〕 Vol.1  “シュート練習”

大切なのになかなか教えてもらえない状況判断のやり方!! 練習が始まる前から「判断」は始まっている。

メッシは、足が速くてドリブルがうまいだけの選手じゃない! メッシのもっとも優れている能力の一つが「判断力」だ!

良い例1. しっかりまわりが見えている選手は、ファーストコントロールで差をつけることができる。 首を振って(回りの状況を確かめ)、ボールを(味方に)要求し、さらに(相手)DFのほうをチラ見しているのがポイント。 ファースト・タッチで一気にDFを引き離す。

良い例3. ドリブル勝負はパスを受ける前に始まっている。 味方にパスを要求する前に、前後に動くことで、(相手)DFのマークを一瞬はずすことに成功。 マークをはずした状態で、パスを受け、突進してくる(相手)DFをヒラリとかわす。 パス出し役の選手はつねに細かくボールを動かしておく。 少し動かすだけでマーク役の選手を戸惑わせることができる。

応用例1. いきなりシュート! という驚きの南米型発想。 こんなのアリ?という抜け目ないプレイが南米では評価される。 ①動き出しによってスペースを作り、そのままダイレクトでシュートを打ってしまう。 ②動き出しでわざと相手を食いつかせ、パスを受けたら近寄ってきた味方にリターン。 すかさず裏に抜けてラストパスを受ける。 あっという間にGKとの1対1.

応用例2. 味方とワンツー。 パス出し役の選手の判断力、コンビプレーで簡単に突破!!! 自分が(相手)DFをひきつけておいてパス出し選手にシュートを打たせるという選択肢もあり。 パス出し役の選手が味方に近づくことで、多くの可能性が生まれます。 そのまま味方の後ろを通り過ぎると相手が釣られるので、味方をフリーにすることも出来る。

判断力とは、まわりの情報をたくさん収集して予測をし、次に何をするか瞬時に決断。 その次の動きを成功させるために、できる限りの準備をする。 これが判断力を伴ったプレー。 常に考えながら練習することで、判断力はいくらでも磨くことができる。

テクニックを磨くと同時に判断力(相手をいかに出し抜けるか)の引き出しを一杯つくっていつでも応用できるようにしておけということ。 味方の選手と常にアイディアを出し合って使える「判断力」技をいくつも持っているのがいい選手というところか。

オシムさんが危惧していたのは、日本代表で召集した選手の多くがオシムさんにいわれたことをその場(練習)でやっていたが、そこで満足して、それ以上自分達の判断でプレーの質を上げないと強い相手に通用しないということを自覚していないのではということ。

 


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雑誌“サッカー小僧テクニカル”その名の通りとっても“濃い”内容 [サッカー]

雑誌“サッカー小僧テクニカル”はサッカー小僧シリーズでも特別にテクニックに重点を置いた内容なので、あまり購入しない。 平成22年3月12日号の表紙はいつもの超有名選手を何人も描きこんだイラストとは少し異なり、地味目だが現在の注目株の選手も何人も入っている。

サブタイトルは「スペイン最強選手直伝ドリブルレッスン」 シルバ、マタ(バレンシア)、ピレス(ビジャレアル)が登場!!  この名の通りこれでもかこれでもかというほどドリブル・テクニックの解説。 しかしこの雑誌の凄いところは、メイン・テーマとは別に、本当はこちらが主役ではとおもえる記事特集があるところだ。

それは特集2「判断力を高めるトレーニング」

よくサッカーでは判断を早くする・・・とか自分で局面の判断をする必要がある・・・とかいわれているが、判断力を高めるトレーニングがあるのだという。

1.「チーム練習編」―練習が始まるまえから「判断」は始まっている!!  →「シュート練習」

2. 「個人練習編」―ひとり時間は効果的に使うべし!! うまい選手はやっている!!  →「ひとり練」

3. 「実践編」―トッププロがやっている脳が汗をかくトレーニング!!  →「ゲーム形式」

内容の詳細は次の記事で。

 


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2010年元旦「FK対決:ヤベッチ対中村俊輔」-ジダンの必殺技に打ち勝った中村俊輔の勝利 [サッカー]

2010年もヤベッチFCのFK対決で幕開け。

元旦のサッカー天皇杯、ガンバ大阪の遠藤選手の2得点を含めた4対1で、ガンバ大阪の勝利。 とはいいながら、試合を観戦する時間はない、Lalaにとっては余裕のない年明け。 理由は会社が30日までしかも残業有りの状態。 31日に必要最低限のおせち作りの材料を仕入れに、例年は行く築地場外市場にも行かず、近場の大きなスーパーを何店かはしごして。 花も昔の人が嫌がる一夜飾りになるのを避け得ず。 しかもいつもいく花屋はもうほとんど正月用の花材は売り切れ、記憶にあるいくつかの花屋もほとんどが休み。 最後に車でとおる店を頼みに。 ここが小さい店舗ながら立派な松や千両が。 地域のお店やオフィスに頼まれて年末と年明けに活け込みにいくということでかなり上質のものが揃っていて一安心。 元旦の事始がお花活けに。

1日のお客様を送り届けて、やっとTVのまえに、ヤベッチFCの開始に間に合った。

新春スペシャルのヤベッチFCは2002年日韓サッカーWCの時以来のジダン来日による登場と恒例となりつつある中村俊輔とヤベッチとのFK対決。

ジダンの登場時間20分については別に記すが、ヤベッチはジダンからFKの必殺技を伝授され、ジダンの前でヤベッチは足を振りぬくとゴール。 すっかり自信をつけたヤベッチは、中村俊輔が是非アウェー(日本)でさらにFK対決を望んだことから実現したと余裕の説明。

中村俊輔登場。 以前より陽に焼けた顔のため、ほっそりした印象。 ヤベッチがジダンにFKの必殺技を伝授されたと聞いて、中村俊輔驚いた表情。 DSC01074シュンスケ2.jpgそして、「どうやったら、そ、それを教えてくれるの?」  その反応を見て余裕の表情のヤベッチ。 1ヶ月も前からそのための練習をしてきたというヤベッチ。 一方、2009年のFK対決では絶対勝つという意識の高まりを発していた中村俊輔だが、2010年は自然体。 

ヤベッチ側のGKが川島選手だとわかると、中村俊輔「お前、どうして出てくるの?」っとかなり不満というかやばいとおもっている様子。 ヤベッチの壁はいつものラグビー選手ではなく新日本プロレスの大型。 DSC01083シュンスケ7.jpg中村俊輔の壁はいままでは163センチだったのが一段と低く156センチ。 中村側にハンディを大きくしたのだが、これが逆に今回はプラスに。 プロレスラーの壁は奇声を発し、巨体を揺らして中村俊輔を威嚇する。 しかし肝が据わっていたのは小柄な156センチの壁。

中村俊輔先行。DSC01102シュンスケ10.jpgDSC01104シュンスケ11.jpg 両者とも4回まで無得点。 中村のシュートは壁に2回あたり、1回は川島選手にセーブ、1回は枠を超えて。

ヤベッチのシュートはジダンの必殺技のはずが中村の低い壁にぶち当たり。 ゴール前に低い弾道のシュートは中村が簡単に足で蹴りだし。 枠外が2回。

FK対決5回目の最終回。 これを両者はずせばドローという局面。 5回目の助走前、中村俊輔「これは入る」と短く宣言。 そしてゴール前右よりにセットしたボールは鋭い軌道でゴール右角を目指す。 

DSC01112シュンスケ12.jpgDSC01113シュンスケ13.jpgDSC01114シュンスケ14.jpgDSC01115シュンスケ15.jpgゴールの右バーの内側に当たったボールは90度角度を変えてゴール・ネットに突き刺さる。 シュート後にボールの行方を追っていた中村俊輔、ネットを揺らした瞬間にゴール前にはしり喜びを表す。

ヤベッチの最終回、中村の低い壁を越えて、斜め右角を狙ったオーソドックスなシュート。 中村俊輔ジャンプしながら難なくキャッチ。DSC01120シュンスケ18.jpg 

FK対決中村俊輔の勝利。 これで通算2対1. このFK対決は次回も続くということ。

DSC01121シュンスケ19.jpg

ジダンのFK必殺技は中村へのハンディとした低い壁には、ヤベッチは逆にシュート・コースを微妙に調節することを強いることになり、必殺技の威力を発揮することはできなかった。

中村俊輔の蹴ったボールは2010年のWC公式球ジャブラニだったと思うけど、結構弾道は素直にスピードに乗る印象。


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デイリーレコードが伝える中村俊輔の後悔 [サッカー]

2009年10月10日付けのデイリー・レコードにはかなり目を惹く記事が載っていた。

記事のタイトルは「中村俊輔: 俺はセルティックとSPLから2年前に(他のリーグに)移籍すべきだった」

興味深いところを要約して日本語でご紹介。

中村俊輔は昨夜、セルティックが彼の心の特別な場所を占めているということは認めたものの、SPLのレベルの低下が(2009年の)夏にセルティックから去った理由でもあり、またそれは2年前に実行すべきだったと告白した。

グラスゴーを去って、エスパニョールに加わって後、初めて元同僚マクマナス選手とコールドウェル選手に再会するわけだが、ゴードン・ストラカン監督の下のセルティックでの4年間について率直に語った。 

(現在、レンジャーズとセルティックはSPLから離脱して、イングリッシュ・プレミアに所属換えを画策しているとかなりニュースが出ている。。。)そんな中、中村はストラカン監督の時代に変化が起きており、スコットランドのクラブの経済的理由・予算の乏しさから、スコットランドのサッカーのレベルは劣化する一方だったことが明らかだったと述べた。 

中村は2007年の夏にセルティックを離れるべきだったのではないかと思っている。 2007年はセルティックを初めてUEFAチャンピオンズ・リーグ16チームまで勝ち上がり、本人も年間最優秀選手など賞を総なめにした年。

中村は続ける。 「当初は、セルティックでの滞在はもっと短いつもりだった。スコットランドのサッカーの水準は俺が最初に足を踏み入れた時のほうが、俺が2009年の初夏にセルティックを去った時よりも、もっと高かったと思う。 例えば、ジョン・ハートソンだ。 この4年間にいい選手はセルティックやSPLからどんどん去っていった。 俺の最初の2年間はよかったし、チャンピオンズ・リーグでもかなりやれた。

金持ちクラブがいい選手を集めだして、セルティックからもいい選手が流出して、ヨーロッパで戦う(チャンピオンズ・リーグ)のがだんだん難しくなった。

俺は今31歳。 時々、29歳の時にスペインかどこかに行くべきだったと思うことがある。 3年目にグラスゴーから出て他に行くオファーがあったし。」

ストラカン監督は常に中村の勇敢さ、熱心さ、技術のことを誉めそやしていた。 このアジアのエースはまるでストラカン監督の養子のようなものだったが、ストラカン監督の辞任問題が彼の選択に影響を与えたわけではないとしている。

中村はピーター・ローウェル会長に彼の意志は明確に伝えており、新しい後任の監督にも残ることはありえないことは伝わっていたはず。

中村はスペイン・リーグでプレイすることをずっと望んでいた。 セルティックからカタルーニアに慣れ親しむにはなかなか大変であることも中村は認めている。

中村はより洗練されたスペイン・サッカーに魅了されており、SPLの大騒ぎスタイルのサッカーから逃れることができて喜んでいる。 またグラスゴーからまったく異なった文化のスペインでの生活にうまく馴染もうと努力している。

中村は言う。「エスパニョールではまだ適応すべくもがいている最中で、自分のベスト・フォームを出すことや、楽しむなどとはほど遠い。 どのリーグもそのリーグ特有のレベルがある。 スコットランドのサッカーもいくつかの点では優れたところがあった。例えば、フィジカルとか。 スペインでは俺はよりボールをコントロールすることが出来る。 スコットランドのサッカーでは俺はボールをコントロールするということがなかった。 

スコットランドでのピッチは大抵が湿っていて、スポンジのようだった。 そのピッチの状態がチームのプレイの仕方にも悪影響を与えていた。

スペインではパスを重視するサッカー。 サッカーのスタイルが全く異なるのだ。 

俺は過去を振り返ることはない。 将来を見据えたい。」

 

 


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中村俊輔のグラスゴーでの“サッカー漬け”の日々 [サッカー]

さて、エスパニョールでは中村俊輔選手獲得でかなり盛り上がっている。 バルセロナの地元紙はもとより、マドリード・ベースのスポーツ紙でもほぼ連日のようにとりあげられている。 これからはスペイン語も習わねば。 

一方、中村俊輔が去ったグラスゴーでも、何かしらニュースになっている。 そのなかで、インタビューを受けた日本人の記者らしい名前入りの記事がDaily Record.co.ukに出ていたので要点をご紹介。

タイトルは「(中村の)友達が語る、中村俊輔は外に飲みに出かけるよりも、家であのレンジャーズ戦での(自分の)ゴールを見るのが好き」

ゴードン・ストラカン監督よりも、他の誰よりも、グラスゴーでの4年間で、中村俊輔に最も近しい友となった記者の中島大輔氏が語るところによると、中村は家で自分のプレイをビデオで見るのとペンギンが好きとのこと。

一日中、あのレンジャーズ戦での自分のゴールを繰り返し見ていた日もある。 

中村俊輔がスコットランドで暮らした4年間で、外出というのは、エジンバラの動物園に家族連れで出かけることぐらい。 あのデビッド・ベッカムとは大違い。 

中島氏は中村俊輔の20人ほどの取り巻きの一人で、連日グラスゴー、セルティックではどこにでも取材してついて回った。 そのうちの4人は日本からスコットランドにも派遣されていたとのこと。 中島氏はグラスゴー在住の日本人。

中村俊輔は隠さなければならないような(酒を飲むとか馬鹿騒ぎするとか)ことは何もしない。それどころか、真のプロ・サッカー選手だ。 あの対レンジャーズ戦で、素晴らしいゴールを上げた翌日、BBCが流したTV映像をズウ~っと一日中繰り返し眺めていた。 例えば仲間が集まって、X-Boxでサッカー・ゲームに興じるような時でも、隣の部屋に一人籠って自分のゴールを見ている。

中村は自分自身をサッカー・ボールで表現する。 彼はとっても聡明な人間で、彼の周りで起きていることを察知する能力に長けている。 だから言葉はあまり彼にとって障壁にはならない。 

中村は真のチーム・プレイヤーで、パス・サッカーに生きがいを感じている。 事実、彼はサッカー漬けだ。 

中村は有名デザイナー・ブランドのショッピングをすることもなければ、セルティックでの試合以外に出かけることもあまりなく、家族と過ごすことを好む。 スコットランド滞在中は、ロンドン、パリには出かけた。 エジンバラの動物園に家族と出かけて、ペンギンが可愛くて気に入ったといっていた。

恥ずかしがりや有名な中村俊輔は、スコットランド滞在中あまり英語はしゃべらなかったし、通訳をいつも側に置いていて、選手のロッカー・ルームにも通訳を連れて行っていた。 

中村はスコットランドでの選手として時間を楽しんでいた。 いつも選手として前進しているといっていた。 一方、スコットランドのサッカーがもっと良くなるためには、もっと世界基準の視点で見る必要があるともいっていた。 もっと外国人の監督を雇って、より複雑なトレーニング方法を取り入れてパスや戦術などを学べば、もっと前進すると。 セルティックの選手達は試合に向かうバスの中でも、フィッシュ&チップスとエル・ブリュ(スコットランドの炭酸飲料)を飲むが、こんなことは日本ではありえないと。

 


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SPL第38節:対ハーツ戦、今季最終戦、前節からのスコアレスというムードは変えられず、ストラカン監督も辞任 [サッカー]

2009年5月24日SPL第38節、ホームにハーツを迎えた、今季の最終戦。 そして、中村俊輔選手にとっても、スコットランド、セルティックの選手としては最後かもという試合。 試合会場には中村俊輔選手の顔をプリントした大きな縦長の旗が。

試合はスコアレス・ドロー。 なんかチグハグなプレイが多かったような気がする。 スコアレスで終わってしまったせいなのかも知れないが、何度かいいチャンスもあったけど、結局前節と同じようにフィニッシュの精度がどの選手もよくなく、試合が進むにつれて、レンジャーズが3対0で勝っているというニュースも流され、セルティック・パークのホームなれど、観客が立ち去るシーンもたびたび。

中村俊輔選手の映像のUPも最近ではこの試合は多いほうだけど、やはり最終節ということと、多分来季にはピッチには中村俊輔選手がいないということも想定してか。

試合の運びについては、別の機会に。

いま仕事厳しくて、先週、今週いつも会社を出るのが夜10時を過ぎることが多く、ブログの更新もままならない。

この試合の記事を書こう書こうと思っているうちにストラカン監督の辞任のニュースが。

中村俊輔選手の成田での到着のニュースが久しぶりにNHKでも流されたそうな。 Lalaが家に帰ってくる小一時間ほど前にニュースで流れていたらしい。 NHKは2006年のワールドカップ以降、あまり中村俊輔選手のニュースは流さなかった記憶が。

ストラカン監督は24日の対ハーツ戦の後の25日〔日本でいう26日)に辞任を発表したらしいが、現地のニュースでは先週ぐらいから、セルティックが新しい監督を探しているとして、イングリッシュ・プレミアの下位のチームの監督な名前がだいぶとりざたされていた。

まだ4連覇の夢が完全に消えたわけではないのに変だとおもっていたが、昨年の晩秋あたりからストラカン監督への非難が公然と出されていたこともあり、そして非常に気になった記事が出ていたので、辞任のニュースを聞いてなるほどとおもった次第。

その記事とは、5月24日付けで、掲載されたのは対ハーツ戦の前。

タイトルは「ストラカン監督・・・私はセルティックの首脳陣の期待に沿ったまで」

趣旨: ストラカン監督は自分がセルティックの監督になった時から、自分に課せられたノルマは、

①セルティックのチームの若返り、②給料をカットして、③そしてSPLのリーグ優勝

ここでの4年間、一生懸命努力して、そのノルマをクリアした。 これを成し遂げたこと自体が、もう一つ勲章を得たのと同じようなものだ。 遂行すべきレールがすでに敷かれており、ひたすら邁進してきた。 SPLで優勝したのと同じくらいの重みがある。 

5年前に、ピーター・ローウェルがセルティックの会長に就任した時、セルティックの負債は3400万ポンド。 今はゼロ。 我々は誇りをもっていうことができる。 セルティックのクラブとしての土台も強固になった。 

セルティックのチームは若返った。 今旬な、スコット・ブラウン、スコット・マクドナルド、エイデン・マクギディ、 グレン・ルーファンスなど皆23、4歳の若手だ。 必要なら高く売ることもできる。 

ストラカン監督の前任者、マーティン・オニール監督(現アーストン・ビラの監督)の時代は、結構有名な中堅どころの選手ハートソンやシチリアン・ペトロフやあの、スウェーデンのラーションなども在籍した時代。 華やかな監督とチームのあと、少ない予算でやりくりせざるを得なかった監督が、その地味で時として無名の若手を育てなければならなかった目に見えない苦労は、セルティックの一部サポーターからは派手さのない分、不満の対象になったということらしい。 

 

 


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